おいらの おいらによる おいらのための
スペインひきこもり日記!!
改め
日本出稼ぎ日記
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Moda
2008年04月09日 (水)
すでに第何弾かわからないが、また久しぶりの友達からメールが届く。春ってすごいわ。
メールの送り主はなっちゃん。なんと、6月からスペインにいくらしい。バルセロナ。しかも、移住ときたもんだ!旦那(スペイン人)はどうやら一足先にあっちに行ったらしい。
移り住むとなると、その先には計り知れない苦労があるとは思うが、なんとも雅でうらやましい。うらやましすぎる。
昨日メールをくれたラミアさんも6月にスペインにいくというし、寅さん・さくらちゃん兄妹は先月末に1年間の留学にいってしまった。
それとは別に、去年の時点では「いったいどうしたんだ?」っていうくらい、バレンシアへの留学生が激減したのだが、今年に入ってまとめてわらわらとやってきて、バレンシアへ日本の刺客を数人送り込むことができた。それはいいのだが、送り出しつつも、うらやましすぎてしょうがない。
さらに、コスタ・デ・バレンシアとは関係なく、スペインの質問メールは相変わらず届く。日記書いてても書いてなくてもあまり関係ないみたい。
「火祭りいくんですが・・・」
「パエリア食べにいくんですが・・・」
「バルセロナにサッカー見に行くですが・・・」
「巡礼の道歩くんですが・・・」
「パラドールに泊まりたいんですが・・・」
「スペインのおいしいもの食べたいんですが・・・」
「北と南で迷ってるんですが・・・」
「学校探してるんですが・・・」
「料理修行しにいきたいんですが・・・」
「陶芸を楽しみたいなと・・・」
スペイン話ができるのはホント嬉しいし、お節介なので、プランをきいて、あれやこれやメールを書くのはとても楽しい。でも・・・まだ見ぬスペインに心ときめかせる人々を見るのは、ホント目には毒だ。これだから2年経っても忘れられないのだ。すごい大失恋した時だって、4ヶ月くらいで完全回復したというのに・・・。
なっちゃんがバルセロナに移住するというのは、おいらにとっても結構ラッキーなことかもしれない(書き忘れたが、なっちゃんはMalagueñaで、タカシ君との古い友達である)。というも、たいていスペイン入りするときはバルセロナから入る。で、帰るときもバルセロナが圧倒的に多い。うまいこと予定を立てれば、なっちゃんにいろいろおいしい店とか教えてもらったり、時間さえあえば、一人寂しくBodegaやBarで呑んだくれるということもなくなるかもしれない。いかんせん、バルセロナというか、スペインのBarは、一人で夜入りづらい。Barはいいが、Bodegaは厳しい。Labradorみたいにタクシーの運ちゃんたちが立ち寄るようなBodegaなら、結構盛り上がるが、おいらがバルセロナにいったときに良く行く通りは、おいらが一人が苦手ということを考えないでも、寂しすぎる。
出国前に、呑む約束をしたので、会ったときにいろいろ聞いてみよう。
日記。
石積み。大きな石2つがとりあえず完成し、今日はパックス・ロマーナならぬ、パックス・バビロニア。ただ、この時期、新入社員がわんさわんさ、新大学一年生もわんさわんさといるのが、正直つらい。初々しさは大いに認めるし、輝かしい彼らをみて、頑張ろうという気持ちにもなれるのだが・・・タダでさえ人口密度が高いバビロニアの朝が、もう大変なことになり、もうさっきまであった微笑ましさなんて、どこ吹く風だ。
クモの子を散らすよう・・・というのは逃げる時とかに使うんだろうけど、あの様子はあえてその表現をを使いたいくらい、チマチマチマ〜と人が四方八方へ向かって歩いている。駅の改札口をエスカレーターの上から見下ろすと、良くテレビで「ドロドロ血」の映像として映し出される、なんていうの・・・・
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こんなん。イマイチ伝わらんな・・・・まぁいいや。
いうたら、毎朝が、火祭り中のバレンシア・・・しかも、マスクレタがはじまる12時前のAyuntamiento前という感じ。
早く、配属決まって、ガイダンス時期終わって、新人歓迎会終わって、新歓コンパ終わって・・・人少なくならないもんかね。
他に書くことあったかな・・・。
ないな。
プラハの春
2008年04月08日 (火)
とりあえず、今日の日記から・・・。
帰国してから2年。平々凡々なおいらの生活において、ささやかな楽しみになっているのが昼休み中と帰りの電車での読書(※行きは音楽聞きながら爆睡している。)
なんか知らんが、おいらを「読書好き」と思っている人がたまにいるのだが、あまりに本を読むのが苦手で、夏休みの宿題の「読書感想文」に自分が勝手に考えたお話について感想文を書いて逃げたことがあるくらい本は読まなかった。
今になって思うが、当時、本が嫌いだったわけではなく、落ち着きがないから、座ってじっとするということが苦手だったんだと思う。それもつい最近まで。
ただ、全く本を読まないというわけでもなく、例外として、妖怪もの、ファンタジーものは小学生のころよく読んでいた。指輪物語もそのころに読んでいたから、ロード・オブ・ザ・リングの時「なんでいまさら?」という感じであった。当然見たが。
中学生あたりからは歴史小説はこよなく愛するようになる。これは読書だろう。うん。あと、読書という感じではないが、地図は大好きだった。日本地図もそうだが、やっぱり世界地図。でもって、辞書とか事典的なもの・・・特に図入りのもの・・・はとても好きであったが、普通の小説と呼ばれる類の本は、ほとんど読んでこなかった。
だから、友達の家にいって本がたくさんあるとすごいかっこよく見えたものだ。滅多に本なんか読まないおいらは「図書館で本を借りる」なんてことは絶対しない。なぜなら、少しでも、その本を読む友達たちに近づきたくて、部屋にある本の数を増やしそうとしゃかりきだったのだ。たまに読みたいのがみつかると、必ず購入して、読後は「見栄え」として本棚に飾ったものだが、まぁ、がんばってみたところ、まったくもって冊数は増えなかった・・・。
おいらが普通の小説に興味を持ち始めたのは、ホントつい最近のこと。スペインひきこもり中、帰国した人間が邪魔でおいて行った本が、たまりにたまってうちにどどど〜んとやってくることが多くなったのだ。半長期滞在者のメリットってやつだな。バスラ、バスラ。
呑む以外特にすることはなく、さらには周りはスペイン語ばかりで、日本語の活字に飢えていたのもあり、なんとなく、それらの人がおいていった本を開くようになった。
偶然というよりは、必然な気がするのだが、その置かれていった(捨てられたというべきかも)本は、かなりの少数精鋭であったと思われる。わざわざトランクのスペースを割いてまで、旅や、留学にもってくる本なわけだから、その捨てていった人たちが特に好きな本なのだろう。というのも、それらの本は新しい本というよりは、どちらかというと、前に一度読んだんだけど、好きな本だから、スペインでも読もう・・・と、わざわざ持ってきたという感じがする本が多かったからだ。あくまでおいらの直感だが・・・。
ってことで、その捨てられた本のおかげで、おいらは読書に目覚めた。最初は、「あ〜彼(彼女)はこんな本読むのか〜」と、その本を選んだ人間のタイプと、自分がもっていたイメージを重ねてみて楽しんでいたが、冊数が増えるにつれて、本自体にはまりだした。
その時の楽しさが忘れられず、また自分で選ぶと、どういうわけか歴史小説ばかり買ってしまうので、今でも友達に「オススメの本教えてくれ!」と教えてもらって、それを買って読むようにしている。
って・・・なんか、このネタ何度か書いた気がする。
話をすすめよう。
一ヶ月ほど前、BOOK OFFで本を物色していた。いまのおいらの昼休み中のささやかな幸せのための本だ。そこで、ジャケ買い・・・違うな・・・装丁買い?いや、それも違う・・・タイトル買い?・・・で即買いした本が
春江一也氏の「プラハの春」
。タイトルをみて「うおっ!」と思って迷うことなく購入した。そこそこの厚さのある文庫本が上下巻ある。
スペイン贔屓をうたっているおいらとしては、あまり大声ではいえないのだが、実はチェコに行って以来、かなり気になる存在になりつつあるのだ。スペインの歴史も面白いのだが、チェコの歴史もかなり面白いのだ。チェコというと「プラハの春」前後について、多少は知っていたが、まったく意識していなかった中世を調べてみたら、あらあらあらあら・・・断片的にしか持っていなかったヨーロッパの歴史の知識とつながる部分が結構あったりして、なんとも楽しいのだ。
細かく書くとエライ長くなりそうだから端折るが、とにかく本命で好きな子はスペインなのだが、なんとなく気になって、たまに会いたくなってしまうのがチェコなのだ。
話が飛びまくりだが、かな〜〜〜り昔の話・・・22歳くらいのころだろうか・・・、「コーリャ愛のプラハ」という映画をみた。面白いような、つまらないような、でもとりあえず、「面白い」っていっておいた方がよさそうな映画・・・という感じで終わった映画であった。
で、この前、プラハにいったときもわざわざ「プラハ!」という映画を持って行って、プラハの宿で、チェコビールを呑みながら鑑賞したのだが・・・なんかイマイチ臨場感がない。男も女もはっちゃけてるんだけど、ただの青春映画としても全く面白くないし、感情移入もできない。
で、つい最近みた「チェコ映画祭」のアニメ。当時を社会風刺したような作品が結構あったのだが・・・その時代の「程度」がやはり理解できてないため、シニカルなのだが、おそらくチェコの人でないとわからない面白さなのだろう。スペイン人のジョークをうちらが笑えないのと同じだ。
だが、この本を読むと、上の3つの映画をきちんと楽しめてなかった理由が、すべておいらの知識不足にあるということを思い知らされた。日本の学生運動時代や、安保闘争時代について、なんとな〜くどんなことかはわかるが、当時の大人たちが騒ぐほど熱いものがこみあげてこないのと同じだったのだ。
まぁ、当然といえば当然だ。
この本のすごいところは、そんなバックボーンもなにもないおいらにたいして、文章だけで「すげっ〜〜!こんな時代だったのか〜」と、上の映画だけではほとんど理解できなかったところを、かなりの程度・・・すくなくとも、「程度」の上では、かなり理解させてくれたことだ。筆者が元外交官だけあって、経験や実体験に基づき書いていているからか、妙にリアリティーがあるのだ。
登場人物ももちろん架空の人間もたくさんでてくるが、史実の人物もかなりでてくる。メインとなるのは当然チェコだが、DDR、ハンガリー、ソ連、ポーランド・・・と、小学生くらいのときにテレビで幾度となく聞いた「冷戦」の時代の主要国を所狭しと駆け回る。資料に基づいているとはいえ、まだ50年も経ってないのに、ここまでキャラ付けしちゃっていいの?と心配になるくらい、史実の人物たちが、この本の中では、生き生きとしている。
一応、「ラブロマンス」とい背表紙にはかかれているが、歴史小説としてもとても楽しめる作品だ。ちなみに、この人・・・春江一也氏・・・むちゃくちゃ文章うまいと思う。おいら好み。
カタカナの名前が多いし、多少なりとも歴史を知らないと、または興味がないとぶっちゃけ食いつきづらい本かとも思う。が、東欧(今はもう東欧とは言わないが)行くなら是非とも読んで欲しい本だ。おいらも今になって、深夜特急じゃなくって、こっちの本もっていけば良かった〜〜!と後悔した。これ読んでれば、もっとハンガリーはチェコを楽しめたに違いないのに!!と。
(※深夜特急は最初の方・・・アジアのあたりはとても面白かったが、後半は微妙であった)
この「プラハの春」には、なんと続編もあった。その名も「ベルリンの秋」。プラハの春に続いて、こちらもベルリンの壁崩壊までを時代背景として描かれたラブロマンスだが、プラハの春同様、歴史小説としての方が強いと思う。というのも「プラハの春」よりも、ラブロマンス要素が重々しすぎて、そちらは途中から感情移入できなくなってしまった。できなくもないが、怖くて逃げ出しそうになる。主人公堀江亮介のように、あそこまで覚悟を決めれんわ。
足を棒にして、一日かけて、旧東ベルリンを歩いたおいら。マジで泣きそうだったが、おかげで東ベルリンをたっぷり堪能することができた。そう思っていたが、この本読んでいけば、チェコ同様もっと楽しめたに違いない。妄想しまくりだったに違いない。本当に悔しすぎる。
・・・・・
・・・・・
・・・ダメだ・・・やっぱ読書感想文は得意じゃないや。
日記に戻る。
ってことで、今日ついに上に書いた「ベルリンの秋」(上・下巻)を読み終えてしまう。読んでは調べ、読んでは調べ・・・そして、登場人物が「あれ?これどこの書記長だったっけ?」と「なにしたやつだっけ?」と、ページを戻ったりしたから、かなり時間がかかったような気がするが、満足度十分な本であった。
で、今は、一昨日くらいに買ってきた、おかむんオススメの川上健一の「翼はいつまでも」を読み始めた。前知識なしで、すすめられるがまま読み始めたから、どんな話かわからないが、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」な時代なようだ。山形ではsexoのことをヘッペというらしい。へぇ〜って感じだ。
そういえば、これを書いておかなくては・・・
プラハの春に感動したあと、藤沢周平の用心棒シリーズをすべて読破し、佐知に恋した。いや〜佐知、最高だわ!その話をねねちんにしたら、なんか苦虫つぶしたような顔してたが。女性から見ると佐知はイマイチらしい。男からみたらあれは最高でしょ。絶対に。長尾あたりは確実に賛同してくれるはず。ただ、ドラマ版は黒木瞳ということが判明し、ちょっとがっかり。黒木瞳は美しいと思うが、佐知のイメージではない。
春になったからか、珍しい人から連絡が来た。一人目は前の職場・・・賽の河原の子。在石積み場中は、ほとんど口をきいたことがなく、辞めてから2回ほど、ヘケットさんやラクシュミさんなどを含めて呑んだことがあるくらいで、あまり知らないのだが、明るくて良い子であった。当時・・・あだ名なににしてたっけかな・・・ラミアだっけか・・・調べたらラミアだった。
その子が、なんとうらやましいことに6月にスペインに行くらしい。ついては、自称スペインの伝道師、スペインと日本の架け橋、スペインの水先案内人である、おいらにいろいろ教えて欲しいというのだ。
わ〜い、久しぶりのライフワークだ〜。
何が楽しいって、酒呑みながら、スペインの話ができる・・・これほど楽しいことは世の中にそうはないんじゃないだろうか。
どうでもいいが、ライフワークって和製英語だろうか?スペイン語だと、El trabajo de la vidaになるのか?
あった・・・El trabajo de toda su vida・・・って例文にあるや。
久しぶりといえば、ママ(瑞穂姉さん)からも連絡があった。なんかHPを三年間ほったらかしにしていて、バイトがどうとかで、「焼酎ともつ鍋とラーメンとホルモンをごちそうするけんこんね〜」とのお誘いだった。
九州弁でいわれたら、おいらはもう抵抗できんちゃね。
パパにも会いたいしな〜。早く会わないと、「他人」にされそうで怖いし。電話だと、なんか他人行儀なんだよな〜パパ。
九州いくなら1週間くらいと思っているのだが、今年は夏あたりにスペインにもいかなくてはいけない。スペインは最低10日間は行きたい。そうなると、有給の関係でどうしても、九州が短くなる。でも、そろそろ九州上陸を真剣に考えないといけない。
明日あたりカレンダーとにらめっこしてみよう。
石積み場やめれば、すべての問題は解決するんだけど・・・またそれやるとな〜。
キリ
2008年04月07日 (月)
おいらは結構「キリ」にこだわる。キリがいい、悪いの「キリ」だ。
石積みの場合のキリは、いま現在、手元にある石をみて、今日頑張ればできるくらいの石を決定し、それをひたすら時間内に終わらせるようにやる。石がまったくなければ、キリもへったくりもないのだが、「これ、気合いいれないとだめなんじゃね?」くらいの石があると、かなり石積みの効率があがる。タイムトライアルみたいな感じだ。もしおいらを使うなら、その辺を考えて石を渡せば、使い勝手は悪くないはずだ・・・と手前味噌ではあるがそう思う。
今日は大中小含めて、11個の石があった。普段は一日1〜3程度で、0の日もあるくらいだから、そうとう多い。
どうでもいいが、普通の大企業とか、出版系のように、残業あたりまえ、土日出勤当たり前・・・の世界での忙しさとは全く異なる。あくまで、定時時間内で可能かどうかの石の量である。
で、その11個・・・どう考えても今日中は無理で、明日に回ると思って、上司にその旨を伝えたのだが、様々な運が味方して、なんと定時2時間前にすべて終了した。
キリにこだわる漢としては、なんとしてでも終わらせたい。終わらせて、明日からはまた悠々自適な自学自習の世界に突入するのだ・・・と心躍らせながら、校正依頼のメールを打つ。まだ3時ちょっとすぎであった。返事が最悪1時間後に来たとしても、まだ1時間半ある。余裕で本番アップできる。
しかし・・・校正依頼の返事がきたのはおいらの退石積み場時間の20分前であった。
緊急の石は2つで「片方だけでもいいので、今日中に!!」といわれたので、なんとかしたというのに・・・さすがに20分前では、戻ってきた修正や変更を直してアップするには短すぎる。できたとしても、慌てて直したページを本番にアップするほどバカではない。
あちらはあちらでテンパっていたようなので、誰が悪いわけではないが、20分前に送ってきて「今日中に!今日中に!」と言われても・・・「知らん!」といいたくなるのが人情ってもんでは・・・。
滅多にない残業するいいチャンスだったのだが、あいにく今日は歯医者の予約がはいっていたのもあり、「もう無理です・・・諦めてください・・・」と冷たく言い放つ。
しつこいようだが、おいらはキリにこだわる漢。今日はそのキリの悪さに、帰りの電車の中、ものすごい心がざわめかされた。明日、中途半端に今日の残り物をかたづけなくてはいけないのだ。しかも、車内でものすごい化粧臭い巨漢のヤンキー(雌)とおしくらまんじゅうで負けたりもして、余計凹む。押された弾みで扉から出されるところであった・・・。
帰宅後、突如降り出した大雨に、ざわめいていた心が、興奮へと転化。なんとかしなくちゃね・・・と、ドライブがてら、マリカルメンつれて、ドンキホーテにスルメ買いに行った。一時間のドライブであった。
ちょっと収まった。
Conservador
2008年04月05日 (土)
「続きは明日書く」とか書いてしまったが、明後日になってるし、別に続きらしい続きがないことが判明。
とりあえず、書けるだけ書こう。
長尾と合流することになったので、駅に近いこっちまで来てもらうことにしたのだが、「今はいったばかりなんだよ」といわれてしまい、うちらが行くことになる。
向かうは新宿三丁目のど真ん中にあるという、沖縄料理「海森」。到着した時点ではまだ10時半前だったのだが、すでに終電で帰る気はなかった。Aunque 呑みはじめてもないのに。
というのも、最近・・・というか、今の石積み場に入ってからな気がするが、見事なほどConservadorになってきている気がして不安なのだ。好きな四字熟語は「前後不覚」なおいらとしては、ゆゆしき自体なのだ。
Conservadorといえば、ちょうどパウロ二世がなくなったとき、おいらはスペインでひきこもり中で、次のパパ〜を決めるコンクラベをテレビでず〜〜っと見てた。Santiがコンクラベについて色々教えてくれたもんだから、昭和天皇が病気の時のような感じで、ついつい気になって見てしまったのだ。
で、最終的に、ベネディクト16世が選出され、スペインの新聞にも当然でかでかと三面記事が載っていた。クリスチャンでもないし、パパ〜にそれほど興味があるわけじゃないが、新聞によると、およそ1000年近くぶりにドイツ人の教皇が選ばれたとかなんとか書いてあった(嘘かも)。
意味もわからずすごい気がして、周りにいるドイツ人・・・CoraやKristinに「ドイツ人すげ〜やん」ととりあえず褒めたというか、お祝いをしたのだが、冷静に考えたら、彼女たちはプロテスタント(日本と同様、それほど熱心なわけでもない)だったので、パパ〜自体に興味がなかった。
「まぁ、私たちにはあまり関係ないけど・・・」と前置きをいれて、苦虫をつぶしたような顔で、Coraはこう曰った。
「でも、彼すごいConservadorよ!それにもうかなりおじいちゃんだし・・・適当な人がいなかったから、とりあえず先が短そうな彼を選んだのよ。それに、彼、同性愛者を認めないのよ。今の時代に合わないと思うわ・・・中絶はわかるけど・・・」
と。
かなりのお気に入りであったCoraが「Conservador」を嫌な意味で使ったので、それ以来、その単語はおいらの中で禁忌になった。ちなみに、辞書で調べると「保守的な」という意味ででてくる。
そんな禁忌の単語に、ここ最近のおいらは当てはまってる気がしてきて、こりゃいかん・・・と慌て始めたのだ。
activoに行くのだ。activoに。野獣のように。がつがつと。
そんなことを思い出しながら、店の扉を開けると、店は思っていたよりもせまく、入ってすぐのところに長尾がいた。しかも、女の子といた。
まぁ、「今、友達といる」って言った時点で、男といるとは思わなかったが・・・これまでの経験上、長尾が「友達」という場合は、必ず女の子だ。男の場合は、たいてい名前知ってるメンバーだったりするし、同じ友達なのに、その場合「今、男といる」という。なんか不思議だ。
初対面同士が多かったので、長尾といつものトークをする。これまで何度となく話したネタなので、タイミングなんぞはかるまでもなく、息は抜群にあう。とりあえず、それで場を和ませ、いろいろな話をした。
何の話したんだっけかな・・・。
木村カエラか中谷美紀に、「つきあってください」と今いわれたらどうする?とかいう質問をされた。中学生かっ!って質問だ。
「いや、初対面でしょ?無理だよ〜」
「おまえ、バカじゃないの?」
「え〜〜〜だって、おいらのことしらないやん」
「あほか!そんなんあとからでいいだろうが!」
助けを求める意味を含めて、長尾の友達の子や、ねねちんの目をみたが、どうも両方とも「長尾派」のようで、首をひたすら頷いていた。
しかし、どう考えても、自分がおかしいとは思えない。
「いま、ここにいて好きになられたらどうするんだよ!」
納得いかないらしく、執拗な長尾の攻撃は続いた。
「いや、それならつきあうよ」
「何が違うんだよ!」
「だって、ここにいるってことは、誰かの友達ってことでしょ?」
「友達ならいいのかよ」
「それは別でしょ・・・友達の友達だもん・・・」
「意味わかんねぇ〜」
「おいらが嫌だっていったのは、突然、その辺歩いてたら言われたら嫌なのよ。怖いから。」
「でも、中谷美紀だぜ?木村カエラだぜ?」
「そこに深津絵里きてもダメだってば。怖いって。」
「バカだ・・・バカだ・・・」
同じ話が延々と続きそうだったので、話を変えた。
そういえば、ねねちんから合コンの提案があった。
合コン・・・なんて懐かしい響きであろう。そして、そこはかとなく不毛さを感じる響きでもある。
おいらが最後に合コンらしい合コンにいったのは大学一年生の夏が最後だ。その後は、あまりの無意味さに、全く行かなくなった。
そんな話をしたら、またもや長尾がかみついた。
「おまえがいつも企画してるの合コンじゃねぇ〜かよ!」
「え?あれが合コン?あれはFiestaだ。Fiesta」
「違うって、合コンみたいなもんだって」
「ええ〜〜〜!!そうだったの?でも、おいら10人いたら9人は知ってるんだよ?それでも合コンなのか?」
「合コンだ」
「・・・・まぁ、みなにとっては合コンなのか・・・・確かに言われてみれば・・・そんな気がしないでもない。」
そういや、話の流れ上、「長尾って、よく合コンいってるよね〜」っていったら、長尾の友達・・・名字なんだっけかな・・・がショックを受けていた。
さっきのお返しとばかりに、前のFiesta de Navidadの時に、前日合コンにいった長尾が、同じくおいらの友人の子とその合コンであったらしく、小さなバトルがあったことを話してやった。
あのときはさすがにおいらもびっくりした。
その子が、おいらに「私・・・あの人知ってる・・・」と耳打ちするのだ。
「え〜〜そんなはずないよ・・・あいつ、おいらの中高の同級生だって!」
「でも知ってる・・・昨日あった・・・」
「????」
そのときはわからなかったが、あとで前日の合コンに二人とも参加したという話をきき、「あ〜これが"世間は狭い"っていうやつか〜」と一人感動。
話がそれた。戻そう。
で、なんとな〜く、その子、長尾を気に入っているような匂いがしてならなかったのだが、それがちょっと確信に変わった。ねねちんあたりは、どうも見たときから、そう思っていたらしく、「二人、良い感じだよね〜」と、本人たちにしきりにいっていた。最初は「なんで、そんな褒めちぎるんだ?」と思っていたが、そのときようやく納得した。さすがは、経験値高いだけある。
ねねちん系の合コンとなると一つだけ心配がある。全員、ねねちん系だったら、もうおいらは勝てない。トークの主導権をもっていくとかも無理。明らかに、おいらよりも強い。そのねねちんが「とても仲の良い友達」といったら、おいらは野ウサギのようにおびえるしかない。だが、合コンのエサにあらぽんを誘おうと思っているので、あらぽんも同時に守らなくてはいけない。じゃないと、あらぽんがエライことになる。長尾はほうっておけばいい。いつ、どこで、何人でやるとか、具体的なことはまったく決まってないのだが、やるとしたら、あらぽんとは違ったタイプのエサも用意しなくては。やっぱ男前だな。男前。ただ、心当たりがない・・・。
とりあえず、見つかる予定のその男前にすべてを託し、おいらは無我夢中で呑む。呑む。左脇をえぐりようにして、呑むべし!おいしいVinoが呑めるところがいいな・・・
それにしても、30半ばが近い人間が集まる合コンって、どんな具合なんだろう。意外と冷戦みたいな駆け引きとかあっちゃったりするんだろうか?それとも、ただひたすら呑むんで騒ぎまくるのだろうか?ドラマにあるように車のキーとかもっていかなくちゃいけないのだろうか?おいらの車のカギには、巨大頭の芥子蓮根キューピーがついているのだが・・・。想像がまったくつかない。
まぁ、ネタ的には面白そうだ。ねねちんがいっぱいいるとなると、人生勉強になりそうだ。
話が一段落ついたところで、ふと終電を思い出す。
お「そういえば・・・もう終電いっちゃったよね?」
長「あっ!もう3時半だよ・・・始発の方が近いよ」
誰か一人は「終電」と言い出すと思っていたが、終電の「し」の字もでてこなかった。なんかスペインひきこもり時代を思い出して、にんまりしてしまった。
まぁ、そもそも、スペイン(バレンシア)には「終電」という概念自体がないのだが・・・。以前、Manoloに終電という意味で「Ultimo tren」という単語を使ったら大爆笑されたくらいだ。Madridあたりになると「終電」の概念はあるかな〜と思ったら、ギリギリ「終バス」くらいであった。あ、でも、メグと呑んだときは日本語で「終電」と使っていたかも。
終電の心配もなくなったので(心配してないが)、始発までのんべんだらりと飲み続ける。話は合コン話から、「男は昔の友達を大切にするが、女は今の友達を大切にする」というねねちんの発言からはじまったテーマにうつる。
ねねちん曰く、「男は、昔の友達が、昔の友達と、昔の友達に・・・」と兎に角、昔の友達の話が多く、また大切にするというのだ。女の子も、昔の友達は当然いて、仲良くしているのだが、今の友達との時間を大切にするというのだ。
最近なにかあったのかしらんが、イマイチよくわからなかった。
昔って、どれくらい昔なんだろう。その「昔」の定義自体、男と女で違うんじゃないのかね?おいらにとって「昔」っていったら、やっぱ中学、高校くらいかね。大学だと「昔」は使わないかな。
昔か・・・今度、皆に、「昔」の定義聞いてみよう。
ってことで、今日はVinoはあまり呑めなかったが、かわりに泡盛をしこたま呑み、良い気分で、長尾と一緒に帰宅。バビロニアで呑んでるのに、なぜか長尾は小田急線をつかわなかった・・・。
家についたのは、朝6時半。
久しぶりの朝帰り。
少しだけConservadorから逃げ出せた気がする。
この日はいうまでもなく、夕方まで爆睡した。
追記
意外と書くことあったが、まとまりないな〜。
Vino日和
2008年04月04日 (金)
ここ最近のcansadoっぷりは、ただ単に寝不足ってだけだったようだ。
とはいえ、平日なら一日5時間半〜6時間くらいは寝ている。自分の感覚的には、「たっぷり」といっていいほどの睡眠時間なのだが・・・さすがにぞろ目も近くなってくると、一日10時間くらい寝ないと疲れがとれないのだろうか。
うううう・・・こうやって、一つずつ一つずつ・・・真綿でギュギュギュ〜って感じに「老い」なるものを感じていくんだろうか・・・
来年あたりになったら呑み会とかで「おいら、最近一日10時間寝ても疲れとれないよ!!」とかなんとか、老いっぷりを自慢話のように話してしまうのおいらがいるかもしれない。
昨夜の予定外の春眠のおかげで、朝から無駄に元気。妙に元気。
つきあいの長い、脳内の水先案内人(一日の指針を指し示してくれる。ノームのような格好をしている)が、
「うむ!今日はVino日和だぞ!」
とおいらに囁いてくる。朝食のコーヒーを飲んでいるというのに。
というわけで、今日は一日中、頭から「Vino」のことが離れず。
そういうば、ここ最近、まったくといっていいほどVinoを呑んでいない。帰国直後は、思い出したようにスペインVinoを酒屋で買って、誰か来たときに呑んだりしていたが、最近はもっぱら焼酎が多い。少人数や男だけの時は日本酒だが・・・。
そう思ったら居ても立ってもいられなくなり、早速メール。勿論白羽の矢の先はねねちんだ。スペインでならいざしらず、日本においてVinoといってパッと思いつくのはねねちんくらいしかおらん。あとは康雄くらいか。
ねねちんは、前石積み場時代は、終石積み時間がちょうどよかったのもあり、しばしば呑んでいたが、今の石積み場バベルになってからは、時間が合わずほとんど呑まなくなってしまった呑み仲間。最後に呑んだのは・・・たしか、おいらが東欧の旅から帰ってきたときにおみやげを渡したのが最後だった気がする。だから、もうかれこれ1年くらい呑んでないのか?いや、違う・・・ポルトガルのお土産をもらったから・・・半年くらいか?まぁ、いいや。
メールしたのは昼過ぎくらいであったのだが、いっこうに返事が来ない。
「う〜〜Vino〜〜!う〜〜〜Vino〜〜〜!」
ほとんど半狂乱。
退社30分前の5時を過ぎても返事がこない。
普段なら、死ぬほど人が多いバビロニアで2時間以上(推測)待つなんて、絶対しないことなのだが、そこまで覚悟を決めて呑みたいと切に願っているのに・・・
「八百万神は、おいらに呑み相手をくれないかっ!」と泣きそうになりつつも、前向きに考え、善後策として、康雄に連絡して、康雄邸に転がり込むにした。
が、終石積み場後、一服しているとメールが入る。はたして、ねねちんであった。
当初の予測通り、ねねちんの仕事終わりは7時半で、早くても7時になるということだった。仕方ないので、本屋でプログラムの本を読んで時間つぶし。
あっという間に2時間経過・・・。
意外であった。1時間ならなんてことないのだが、2時間になると飽きそう・・・と勝手に思いこんでいただけのようだ。こんな簡単に2時間つぶせるなら、今後、バビロニアで待つこともできそうだ。相手が長尾以外なら。
7時半ちょっとまえに無事合流して、店探し。バビロニアには不案内なので、完全にねねちん頼みでいこうと思っていたら、彼女もあまり詳しくないという。これまた意外。恵比寿に引っ越すとか、銀座がどうとかいつもいってるから、てっきりバビロニアは庭だと思っていたのだが・・・。
今回の呑みのテーマはVino、しかもスペインVinoなので、無難にスペイン系の店にし、選択肢をとりあえず狭めてみたところ、カテドラル通りじゃなかった、モザイク通りにスペイン系Barがあるという。駅側だから、大いに不安ではあったが、とりあえずスペインVinoは確実にあるだろうから、その店に決定。イマイチだったら店を変えればいいということで。
メニューを見る。
まず最初に目にとびこんできたのだが「パタータ・ブラヴァス」(ママ)。
もしかして、どっかの地方やら南米とかではこう呼ぶかもしれないが、そもそも文法的におかしい気がするのだが・・・。別にスノッブになりたいわけではないが、そのまま言うには抵抗があったので
「え〜っと・・・まず・・・パタタス・ブラバスと〜」
っていったら
「パタータ・ブラヴァスですね!」
と返された。
それをしっかりねねちんにも聞かれていて、思い切り笑われた。「直されてやんの〜」と。
ちなみに、そのパタータ・ブラヴァスは、パタタス・ブラバスと似て非なるものであった。
Arroz negro(イカスミご飯)も注文。ねねちんがそれほど腹が減ってないとのことなので、一人前で頼もうと思ったら二人前からといわれ、しかたなく二人前で注文。一人前1390円くらいだった気がする。おいらには悩ましい値段設定である。
メインのVinoの方は、「ボトル3000円なら、今日はなんとか許可する!」と店に入る前にいっていたのだが、最低3500円からであった。それ以上は、涙で値段が見えず。ギリギリボトル5500円くらいまで見えた気がする。
copaの方は、580円、680円、780円・・・という感じで3、4種類くらいあった。即座に二人で計算する。
copa一杯600円として・・・ボトルだと3500円でしょ・・・ボトル一本でcopa6杯呑める計算・・・で、copa一杯分の量は!!
後ろを振り返り、copaでVinoを頼んでいる客を捜す。
「あれか!あの量か!」
「あの量だと、5杯・・・もしくは5杯半じゃない?」
「だな・・・6杯にはいかないね」
「うん」
「3500円頼んで、おいしくなかったら目も当てられない」
「とりあえず。copaで頼んで様子見る?」
「うん。そうしよう・・・ただ、copa3杯じゃ、足りないだろ・・・」
「どうする?」
「・・・・copa!」
ってことで、ボトルは断念。
どうでもいいが、かなり昔、ねねちんと渋谷で呑んだ時に、Vinoの種類が豊富そうな店に入ったが、あまりの値段の高さに「すいません・・・やっぱ出ます」と、メニューだけみてでてきたことがある。店員に嘲笑をあびながら。
ちなみに、ねねちんの名誉のためにいっておくが、ねねちんはおいらと違って貧乏ではない。あくまで、おいらにあわせてくれてるだけで、おそらく普段だったら5500円のVinoも鼻歌交じりで頼んでいるはず。
一杯580円のVino・・・スペインなら今のレートでも上級安Vinoがボトル一本で買える値段のVinoを・・・チビチビとなめるように楽しむ。
注文するまで侃々諤々あったが、さすがはVino日和、なんだかんだでうまい!
580円と680円のを交互に、最終的に4杯だけ呑んだ。まだまだ全然足りなかったが、これ以上調子にのると、あとで泣く羽目になるので、次のVino日和まで我慢することにした。
ところで、呑んでいる途中、突然おばあちゃん(あだ名が「おばあちゃん」。おいらしか呼んでないが・・・)からメールが届く。
「長尾君、今日、バビロニアいない?斉藤和義のライブ会場でみかけたんだよね!」
おばあちゃん・・・「私は長尾の番人ではありません・・・」と思いつつも、返事を返す
「おいらも今バビロニア〜!もしかしているかもね!」
長尾と斉藤和義がどうにもしっくり来ないし、そもそも、この時間に長尾が仕事を終え、ライブになんぞいってるわけない・・・ただ、長尾の風貌は独特なので、そう簡単に見間違えるとも思えない・・・。
もしバビロニアいるなら、一緒に合流できるかも・・・と長尾にメールしてみる。
「斉藤和義のライブいきましたね?」
「・・・いきますた」
時間はまだ10時ちょっと過ぎ。終電まで呑んでも、2時間弱はいけるはず。
ということで、合流することが決定した。
続きは明日にする。
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