おいらの おいらによる おいらのための
スペインひきこもり日記!!
改め 日本出稼ぎ日記

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人に歴史あり(前編)
2007年10月30日 (火)
diario/a;(形) 毎日の、日々の、日常の (名) 1.新聞 2.日記、日誌、日記帳、メモ用手帳 3.ニュース、報道
de diario:(副)普段着の、日常の

なんかわざわざ各単語でも無いけど、今日は特にネタらしいネタもないので、おいらと日記について書き残しておく。昨日、たまたまスペインの日記帳を見つけたもんで・・・。

a ver・・・。

1992年〜(高校編)
16歳の誕生日にシステム手帳をもらった。黒のそこそこ重厚なヤツ。高校生のプレゼントだから5000円もしないもんだと思うが、そんなもんそれまで持ったことがないのでちょっと興奮した。なんかオトナ!って感じで。

至ってシンプルな手帳で、最初の数ページは格子状(?)に線が引かれた普通のカレンダー。スケジュール用のシールも一緒にもらったので、頑張ってそこに貼ってはいたが、高校生なんぞ予定らしい予定なんぞない。せいぜい「テスト」とか「映画」とか「○○の誕生日」とか・・・もう隙間空きまくり。

せっかくもらったし、使わないのもなんなので、未来のことを書き込むスケジュールではなく、その日にあったことをその小さい隙間に埋め込んでいった。「公園行った」とか「買い物した」とか「○○にあった」とか。

おかげで、あっという間にカレンダーは真っ黒になった。そして、書き始めたら縦横2cmあるかないかのスペースじゃ足りなくなってきた。当然だ。人間いきてりゃ、それなりにいろいろある。

思い立ったようにシステム手帳の滅多に開かないページを開く。縦2cm×横6cmくらいの、1ページが一週間分のページ。その日から、使い分けがはじまった。カレンダーの方にはメインというか、重要な出来事だけを書き、「一週間ページ」には、少し文章で3行くらいで書き込むようになる。

しかし、今度もまた不満がでてくる。「このスペースでもたらん!」。文字は自然と小さくなっていき、米粒にくらいのサイズでぎっしり・・・もう蟻が這ってるみたいな感じで書き込むようになった。

この時点で日記帳に書くようになってもよさそうだが、「時と場所を選ばない」、「いつでも持ち歩いている」、「スペースは確かになりないが、日記帳ほどのスペースはおそらくいらない」ということもあり、日記帳には移らなかった。

それが高校3年間丸々続いた。大学受験が終わるまで。

そのシステム手帳はまだ手元にあり、今も写真にとって載せようとも思ったが、かなり奥深くに封印されているパンドラの箱の中なのでやめておく。空けたら、もう、部屋の中がエライことになりそうだから。散らかるというわけではなく、なんか108くらいの煩悩が飛び出してきて、部屋が鬱蒼としそうだから。

1995年〜(浪人編)
浪人を始めたばかりのころは、そのミニ日記は続いていたのだが、生活が単調になり、また書くこともなくなり、でもって、マジで勉強し始めたため、3ヶ月も経つとシステム手帳を開かなくなった。9ヶ月ほどだろうか・・・空位時代だ。

1996年〜(学生編)
大学になると旅にはまる。大いにはまる。金はすべて旅につぎこんだ。つぎこみまくった。夏と春の二回はかならず異国にいった。夏はさらに国内も回った。海外は一ヶ月が目安。国内は10日〜2週間が目安。

最初にいったのはエジプトとギリシャだった。ただ、これは10日くらいと短い。まぁ、いろいろあって。まだ日記ははじまってない。メモ程度で。

大学一年目の春休みにいったのがスペインだった。1997年3月2日から40日間。フィンエアだったから、ヘルシンキ(フィンランド)もオマケについてきた。スーパーで水のペットボトルを落として、スーパーでエライ剣幕で怒られた。その辺のオヤジに。クリーニング代渡したら、笑顔で帰って行ったが・・・いまでもこのエピソードは思い出す。ホント何いってるかわからなかったから・・・。英語を話せるスーパーの店員さんが、ものすごい同情してくれた。というか、彼が通訳してくれなかったら、本当になにいってるかわからなかった。

うぬっ・・・話がとんだ・・・けど、そのネタも日記に書いてある。4月4日(金) 雪・・・だそうだ。

ちなみに、この旅でスペインにはまり、現在に至っていることは言うまでもない。

というわけで、日記再開。高校〜浪人までのは日記とは呼べないので、おいらの日記は1997年3月2日 21:29からはじまったことになる。もう10年たつのか・・・うぬ〜。

よくよく考えたら旅のあとは書いてないので、はじまったようではじまってないや。旅の時だけ書く「旅行記」だな。

スペインのあとはフランスにいった。これも一ヶ月ほど。この時も日記を書いた。スペイン同様毎日だ。

で、ここで転機が来るんだ。バイトの関係でMac(マッキントッシュ)を購入(パソコン自体はもっていた。こうみえて結構長い。中学2年生からだから・・・)。そのMacにバンドル(付属)されていたクラリス・ホームページというのがあり、なんとなくいじってたらホームページが作りたくなった。当然、ネタは旅行記だ。

ヘボいなりに、がんばってホームページを完成させ、旅行記をアップし始めた。ただ、思ったよりも書き起こすのが面倒で、日記帳では当然書き終わっているのだが、ホームページ上ではほっぽりだしたまんまで終わっていた。その間も旅は続いていたので、書いても書いてもおっつかなく、もう完全になげやり状態。

今では手書きよりも、打つ方が楽なのだが、当時は文字を書く方が楽だったため、そちらはきちんと書き終えてたりする。文字はおいら以外判読できないやつもあるのだが・・・。

最終的に、現在、紙媒体の旅行記として残っているのは、スペイン、フランス、イタリア、アメリカ、パキスタン、カンボジア、オーストラリア(これは微妙)あたりになる・・・っぽい。まだあったような気もしなくもない。

1999年(学生編2)
上にも書いたとおり、ホームページ上での旅行記アップがかなり滞りがちだったたのと、なんか更新しないと・・・という熱き思いがあり、普段の日記を書き始める。これは紙上ではなく、ホームページ上で。

最初に書いたのが1999年5月13日(木)。なぜか、土方歳三と榎本武揚について書いてる・・・。ママンがテレホンカードをくれたからだ。

当時の日記の特徴としては・・・

今と違って圧倒的に短い。20行〜30行くらい。たまに、勢いがあってえらい長いのもあるが、今ほどひどくない。淡泊な日記だ。

「誰かに読んでもらうこと」を前提に、また「読んでもらいたくて」書いている。もうホームページにはまりまくっていた時代だったから。あらぽんが冷ややかな口調で「まぁ〜よく頑張るね〜」ってバーミヤンかなんかでおいらにそういったことを今でも覚えている。毎日なんかネタや企画を考えていた気がする。

また、今よりもしっかり毎日書いている。たまに抜けるときがあるが、今ほどひどくない。システム的には今の方が書くのは断然楽なのに・・・信じられないエネルギーだ。当時は、ブログとか、このCGIの日記みたいに、日記を書くようにレイアウトされていないから、テンプレートを作ったとしても、日付から、画像添付から、時間から、なにからなにまで全部を作らないといけない。だから、日付や曜日を間違えることもあった。一番面倒なのが、その日記へのリンクをはらなくてはいけないことだった。データベースを自分で手作業でつくらないといけないのだ。過去のバックナンバーなんかも、自動でなんかやってくれない。自分で、3月って書いて、そこにファイル名をバックナンバー用に変えたものをリンクさせて・・・ってやる。読みやすさとか、日記の探しやすさ(検索機能など)とかは最悪だが、手作り感一杯だった気がする。今見ると恥ずかしいけど、あまりかわってないといえばかわってない。

しばらくして、旅行記は封鎖した。日記を公開してることに倒し、気負いとか恥ずかしさとか、お客集めへの疲れとか、もっと個人的などうでもいいことを書き残したいとか・・・そういう風に思ったからだ。端的にいえば、他人のために書きたくなくなった。自分のために書きたくなった。ってことだな。

そこまでいくのに2年くらいかかった。2001年3月6日のこと。

旅行記サイトはなくなったが、日記は書き続けた。不特定多数の他人のためには書きたくなくなったといっても、ホームページとして書いている以上、ある程度のモチベーションは必要だった。そんな簡単に割り切れない。

ということで、線引きすることにした。友人限定サイトの登場だ。宣伝もなにもしない。が、ネット上においている以上は、検索されて見つかることもある。だけど、それはOK。見つかったとしても、お構いなしで内輪ネタで書く。KとかNとかイニシャルではなく、実名、または普段使ってるあだ名で書くようになったのも、このへんから。

気分はかなり楽になった。そして、日記を書くことが、本来の意味の楽しさを持ち始めた。


って、長くなりそうだから、今日は予定を変更して前編にして、後編は明日書く。もうほとんど書くことない気もするが・・・。

追記
調練についても書きたいことがあったのだが、次にする。

なんとかならんもんかね・・・いろいろ
2007年10月29日 (月)
ver las cosas con sabiduría(con filosofía・filosóficamente):達観する

う〜ん・・・う〜ん・・・なんか違う。望んでいた単語じゃない。意味はそうだけど、なんだかな〜。sabiduríaは学問、知識、賢明さ、知恵だとさ。filosofíaは哲学ってくらいしかしらんかったけど、2に人生観、世界観、原理、3に悟り、達観、あきらめってのがあった。まぁ、いいのか?

でも、なんか諦めににた境地が欲しいのだが。放り投げるというか・・・。そうなると、abandonarか。でも、達観として使ってこなかったし・・・。チャットなんかで話してて、そろそろ終わるよ・・・って時にはte abandonoとかTengo que abandonartebとか使う。ドイツ人とのチャットで最初に覚えたのだが、「本当にあってるのか?」と疑っていたら、スペイン人も使ったからあってるのだろう。「捨てる」とか「見捨てる」の意味で覚えていたから、最初言われたとき「え?おいら何か悪いことした!?」と思ったことがある。相手がCoraだっただけに、マジで焦った。

ぬっ。resignarってのがあるや。

resignar:(動) 1.譲り渡す、任せる、ゆだねる 2.(仕事、職などを)やめる、辞任する、辞職する 3.(権利、希望などを)捨てる、放棄する、断念する。

resginarse:(動)(再) (〜に[a 、con])身を任せる、あきらめて(・・・[a 不定詞])する

例文でいいのがあった。

Me hecho a la idea de que el mundo es así
(世の中とはこんなものと私は諦めるようになった)

まぁ、そこまで大げさではないけどね。

で、なんとかならんかね・・・この週末日記をまとめて書く週間。書かないより、書けているからマシだけど、日記3日分とか4日分とか書くと、何もできなくなるんだよな〜。スペイン語調べ始めるようになってなおさら・・・。

これまで「有言実行」と、日記に書くことによって半分強制的にしてやろうと思ったが、ダメだ・・・おいら・・・意志弱し。一つ一つ、中途半端に「書こう」としてるからダメなんだろうな。こだわるならこだわって日記じゃなくって、なんかあったときに書き残すエッセイみたいにすればいいんだけど、たぶんそれやると、全く書かなくなりそうなんだよね。だから、日記という体裁にしてるけど、毎日、頭の中を走り回る「書きたいこと」を、きちんとまとめて書こうとすると、とてもじゃないけど、毎日は無理。

働いてないときは、日記のこと考えて、文章の構成考えて(ってできないときもあるけど)やっていたような気がするけど、帰国してから、どうにもこうにも中途半端だ。今の日記はあとから読んでも、なんともつまらなさそうだ。10年くらい経てば、それはそれで、なんか思うことあるだろうけど・・・。

なんとかならんもんかね〜。この冗長で、para basuraな感じ。まぁ、煩悶学生みたいでいいか。一日を振り返ることにこそ意義があるということにしておこう。うん。そうしよう。

けど、やっぱなんかつらいんだよね〜。この焦燥感はなんなんだろうね。


石積みの方もなんかやりづらい。なんか「見切り発進」が多い気がする。サイト作りなんて、最初の打ち合わせが肝心なのに、そこ端折るから、無駄な作業が増える。石はあまりないから、別に時間的な問題はないんだけど、「最初にいってくれてれば二度手間にならずに済むのに・・・」と思うようなことが、ここ最近とても多い。

とはいえ、リニューアルが一応一段落して、これまで接点がなかった全国の支店とのやりとりも増えてきて、まだお互い要領を得ていないというのもあるから、いたしかたないとも思える。だから、お互いの石を理解するためにも、コミュニケーションが必要だと思うのだが、おいらの石は指令書という紙一枚(Fax)でおりてくるため、連絡とるにもとりようがない。だから、向こうも、形式を理解しないまま、送り続けてくる。

ローマの方の窓口として、ハニャ子とおじゃる丸がいる。彼らとはだいぶ阿吽の呼吸的なものができつつあり、石積みはやりやすいが、全国の支店までの作業を完全に網羅し理解しているわけではないので、指令書について、おいらが電話で尋ねて、その質問事項をハニャ子が、その指令書を送ってきた人にきいて、それがまたおいらのところに戻ってきて・・・という形になる。

他にも、ハニャ子やおじゃる丸の上司からの指令が下りてくることもあるが、彼らは基本わかってないため、また自分の石だとは思ってないため、結構おざなりな形で石はふってくる。それをハニャ子たちが「うちらの形」にして持ってくるのだが、それが、これまでの形にはどうあがいても変えれないことがある。WEBなんて、臨機応変に対応しないといけない作業だけど、それが得てして、それまでの打ち合わせで「そういう形になることはない!」、または「そういうことはしない!」と取り決めてあったりするものだったりするから手に負えない。

「え??それはないということだったから、この形になったのに・・・」

と不満というか、嫌みを含んだ確認をすると

「そうなのよ〜!でも、向こう(上司たち)はそんなこといった覚えはない・・・とかなんとか・・・ホント頭くるわよね!マジでけっぱくってやろうかと思った〜!」
(※ハニャ子は、これまでのつきあいの中で「切れやすい」ということを確認してる)

「まぁ、そういうことならいたしかたないけど・・・つい最近、作った○○あたりのページ、全部作り直しですよ・・・だから、時間かかっちゃいますがいいですか?」

「平気じゃないかな〜?」

「じゃないかな〜って・・・今、別件もあるので、すぐにはできないんですけど」

「大丈夫だよ」

「だいたい目安としては?」

「11月22日くらいまでには」

「え?そんなに???いや、そこまでは・・・時間かかるっていっても3日くらいでできますよ」

「じゃ〜全然問題ないじゃ〜〜〜ん!」
(※ハニャ子は実際こういう話し方をする。ちょっと男要素もあり)

てな具合だ。

これがもしかしたら普通なのかもしれないが、おいら的にはあまり要領がいいとは思えない。この辺も、時間が解決してくれる問題なんだろうけどね。まだ4ヶ月たったばかりだし。

木曜の日記で中6日とかいたが、間違った。中5日だった。で、その中5日・・・結構寂しいものがある。月曜日が空いていないというのははやり痛いかもしれない。金曜日休みならいいのに・・・って、完全に自分の都合で言ってるけどさ。

5日休んだだけで、ものすご〜〜〜く、体がなまった気がするし、重くなった気もする。まだ調練も7日間しかこなしてないから当然なんだけど。

だが、おかげで体の痛みは綺麗さっぱりなくなった。土曜日あたりには完全に。明日は筋肉フェチ子メニューをたっぷりできそうだ。

今日は他に書きたいことがあったが、まとまらないのでこの辺にしておく。

読んだ本は、きちんと本棚へ・・・
2007年10月28日 (日)
basura:(名) 1.ごみ、くず、がらくて、廃物 2.ゴミ箱 3.くだらないもの、役に立たないモノ 4.(牛馬の)糞

学校では普通に「ゴミ」程度の意味で習ったのだが、意外とutilな単語。まず、おいらは良くManoloに部屋をのぞかれては「que basura!!」と叫ばれていた。「散らかっている」という単語は普通だとdesordenado/daを使うが、「que basura!!」と叫ぶことによって、その壮絶さは倍増される。悔しいので、おいらもいつか誰かの部屋に行ったら使ってやろうと、虎視眈々と狙っていたのだが、なかなか部屋が散らかっている人がおらず、ほとんど使った記憶がない。

あと、よく使うのがpara basura。これは、上の2の意味で使う。映画とかを見に行って、どうにもならないくらいつまらなかたっときなどは「para basura」と表現する。「ゴミ箱行き〜!」的な感じだ。映画以外にも、焦がした料理、残った残飯とかにも使える。「もったいないけど、腐りかけてるから、para basuraだね・・・」とか。

で、basuraだ。

なんか、マリカルメンが遊びにくると、部屋が異様に散らかるような気がする。ヤツが帰ったあと必ずあるのは、なんかしら甘いもんの空き袋とコーラ(カロリーゼロのやつ)のペットボトル(500ml)。

おいていくモノこそそれくらいなのだが・・・なんか荒れているのだ。tifón(台風)でも通り過ぎたのか?ってくらい。

もともと自分が普通に一週間かけて散らかしているところが多いのだが、なんなんだろう・・・・この尋常ならざる散らかりかたは・・・。

あ、いま悟った。簡単なことだった。

部屋にいるとき、おいらが所定位置はPCの前かベッドの上の2カ所だけ。ソファーはあるにはあるが、脱いでたたんでおいた(たまにたたまないが)ジーンズとか、服とかがおいてある。PC机のすぐ隣の椅子にも石積み用の鞄とか、さっきまで着ていた服とかがかけてある。

日本は地べたにモノをおいても、まぁ問題はないが・・・っていうか、床もモノを置くスペースというのが普通なのだが、スペインでの生活のせいで、なぜか床にはあまりモノを置かなくなった。おいても鞄とか、本とか、スペインでの生活でも置いても問題ないものばかり。ただ、服はとても汚れてしまう気がしたから、かならず外から拾ってきた(それこそ、本当の意味でのbasuraから)椅子なんかにおいといた。だから、おいらのスペインの部屋は椅子だからけであった。

まぁ、それはいい。

おいら一人だったら汚れるのは、机の上だけ。ベッドはまぁ布団がむちゃくちゃになってるくらいで、特にモノは散乱しない。寝るだけだからだ。

しかし、マリカルメンが来るとソファーに座る。おいらがPC机の椅子に座ってるから、当然そうなるのだが、その際、椅子の上にあるものを床に全部落とされるか、または、ソファーの上にあるのをお構いなしで座るかのどちらかとなる。どちらにしても、服はエライことになる。散乱するか、つぶされて無体な姿になるか。

で、もう一つあった。やつは、ベッドで勉強するタイプであった。おいらはベッドの上で本はあまり読まない。たまにやるが、なんか体制的につらいから、寝る前の読書っていうときくらしかやらない。ただ、やつはベッドの上も普通の日常生活の場となるため、本棚から大量の漫画なり本をもってきては、ベッドの上で読みふける。読みふけるのはいい。だが、そのあとしまわない。今も後ろを振り返ってみてみたら「動物のお医者さん」はベッドの頭のところに。「聖徳太子」は床に積み重なっている。

これか〜〜〜!!!

今度東急ハンズとかいったら「読んだ本はきちんと本棚へ・・・」という看板を買ってきて貼り付けよう。そんなもん売ってないか・・・・。

看板で思い出したけど、たまに見かける車の背面に張ってある「赤ちゃんが乗ってます」の看板・・・っていうか、標識というべきなのか?・・・あれって、赤ちゃんが乗ってるからどうしろってことなのだろう?見るたびにいつも考えてしまう。

やっぱ普通に考えれば「だから、遅いですよ」ってことだと思うのだが、「あおらないで」ってこととも「突然の疳の虫で騒ぎ出す可能性があるから、車がすぐに動きださないですよ」とも「赤子が泣き出したら急ブレーキかけますよ」とも「おしゃぶりを飲み込んで中は大変な騒ぎになってますよ」ともとれてしまう。できれば、「赤ちゃんが乗ってますから、○○しないでください」までいってくれると、こちらは助かるのだが・・・それとも何かい・・・中の状況まで想像して運転しろと・・・とにかく、何に備えていいのか全くわからん。

作った理由としては普通の「若葉マーク」と同じなのだが、内容が具体過ぎて・・・若葉マークや紅葉マークよりも、応用性がないというか、汎用性がないというか・・・。

違うか・・・どっちでも一緒か。たぶん、赤子ってので気にしすぎなんだろうな。赤子のせいじゃ怒れないもんな。猫と一緒で。そういうことなんだろうな・・・。でも、そう考えると、たまに右車線と左車線をクネクネ行く「赤ちゃん乗ってますカー」は「憤怒〜〜!」となってもおかしくないだろ。「赤子・・・乗ってねぇだろ!」と。赤子を盾にするのヨクナイ。乗ってない時は「赤子乗ってます」表示は禁止。必要以上に構えて、こちらが事故りそうだ。


追記
今日はまたもやママンが・・・そしてパパンが出奔したため、ムクとおまけの当番。家からあまりでれず。昼過ぎ、bookoffにいって、むんが勧めてくれた本を探しに行く。あと、なぜかうちから無くなっていた「寄生獣」を再度全巻購入。正確には8巻をのぞいてだが。なぜか8巻だけあった。誰かに貸したんだろうか?タクヤが誰かに貸したような気がする・・・。むんが勧めてくれた本、川上健一の「翼よどこまでも」(だったかな?)と、藤沢周平の「用心棒シリーズ」は両方ともなかった。用心棒シリーズはあったにはあったが、2作目〜4作目まであって、肝心な1作目だけ抜けていた。残念。

あっ!
2007年10月27日 (土)
あっ!!!

と思ったら土曜日が終わっていた。

「何しようかな〜」って考えて、気づいたらそんなことに。

夜、いいかげんにクリアーしようとドラクエ8をやって、ボス倒したのだが・・・なんかレベルが高すぎたのか、いとも簡単に倒してしまった。緊張感もひったくりもない。

終わった〜〜〜!!!と思ったら、まだ続きがあることが判明。自分の出生のヒミツを説くたびが、あと少しだけ続くらしい。

まだ時間があったので、やり続けたが、「あと少し」じゃなくって「もうしばらく」続くっぽい。

なので、適当なところで切り上げた。

あ、単語。あぶねぇ、あぶねぇ〜。

el tiempo es oro:時は金なり

まぁ、そのまんまやね。time is money。でも、oroは金(かね)ではなく金(きん)。まぁ、金(かね)の意味で使ってるのかもしれないけど、金(きん)の方が、なんか侘び寂びあるやね。ちなみに、光陰矢のごとしは、el tiempo vuela。「時間は飛んでいく」みたいな意味。これは、そこそこ使った。覚えやすかったから。スペイン人がこれを使うときは、指先を伸ばした手のひらを頭の上、右手だったら、頭頂からちょっと右くらいにずれたところを、飛行機が通り過ぎるように手前から後ろに、そんでもって空気をはき出すような感じで「フイッ!」といいながら、高速で動かすGesto(ゼスチャー)をする。このGestoはとても大事。この言葉をいわなくても、「とても速く動く様」、「あっという間」的な表現をするとき・・・たとえば、「そんなこと、とっくの昔に忘れたわ!!!」とかいいたいときも、それをやる。絶対つけないといけない。これお約束。

不可思議なり
2007年10月26日 (金)
llorar; a lágrima viva:激しく泣く、号泣する

おかしい。和西で「男泣き」で調べてでてきたのに、西和で調べたら、上みたいな意味ででてきた。男泣きと号泣は相反するものだろう。まぁ、いいや。llorarは泣く。lágrimaは涙。llorarだけでいいところを、lágrima vivaの部分でなんかを表現してるのだろう。

神保町で呑む。賽の河原時代に何度かいった店、光源氏へ行く。九州の味だっちゃ。ちゃちゃちゃ。残念なことに、カウンターじゃない奥の席に通されたので、ちゃちゃちゃのひばりちゃんとはお話できなかった。

6時ちょっと過ぎに神保町に到着。待つこと10分。おかむんが到着。おぐりからは「ちょっと遅れる」という連絡が入っていたので、先に店で呑んでることにする。

むんの石積み状況を聞いたりと、近況報告を済ますしたあと、話はどういうわけか「感情の起伏が少ないむん」の話になった。別においらがそこを変えようとしてその話になったわけではなく、なぜかそんな話になっていた。あ、そうだ。思い出した。ついに読み終わってしまった「北方水滸伝」の話で、おいらが「もう何度も泣きそうになったさ〜」といったことがきっかけだ。

むんは感情の起伏が著しく少ない。鉄仮面のような表情ということではない。「熱い」何かが足りないのだ。それは自分でもわかってるらしく、同じくおとなしいが、こだわりというか熱いものを持っている康雄の話になったときに、「そうなんだよね〜やっすんは熱いもの持ってるよね〜」と考えるようにいっていた。

どうも、むんも自分で「熱い何か」を持ちたいと思ってるようだが、子供のころからず〜〜〜〜っとそうらしい。

「むんは驚くことないの?」
「映画とかで感動することは?」
「あれだけ本読んでるんだから、なんかこう熱くなることあるでしょ?」

と、感情の基本である「喜怒哀楽」が起こりそうなシーンを想像しながら聞いてみたが、どれもイマイチしっくりこない。っていうか、この質問をしてる時点で、すでに起伏が見られない。

数年前のおいらだったら、世話好きというかお節介というか余計なお世話というか・・・「こうしなよ〜!」とか「あ〜しなよ〜!」とかあれやこれやいっていたのだが、いつどこで変わったか自分でも自覚がないのだが

「まぁ、世の中いろんな人いるからね〜」

とすべてを済ますようになってしまった。

自分らしくないと思いつつも、そう思ってしまうから、もうどうしようもない。

だって、30過ぎてそう簡単に人から言われたからって、「はいそうですか〜」って変わるわけないし、その人、それまでやってきてるわけだし、もしおいらがその点を嫌だってんだったら、その人とつきあってないわけだし・・・。

いや、それ以前に自分のことだけで必死だったりとかして。

たぶんここまでくると、それこそその人にとっての「未曾有の体験」でもしないとどうにもならないだろう。あとは、その人にとってそうとう影響力を及ぼしそうな誰かとか。ふと、むんが大好きな人に「熱くない人嫌い!」っていってぼろくそにふられたら変わるかな〜とも想像したけど、むんのことだから「まぁ、しょうがないか〜自分は自分だし・・・」で終わりそうという方が勝ってしまった。頭の中で。

9時前後くらいだっただろうか・・・残石積みのため遅れたおぐりが到着。今月中旬に「牛」と入籍し、名字が変わったばかりのおぐりだ。結婚式はまだ先だが、引っ越しをして一緒に住むらしい。しかも、その家を「青少年の家」にしていいという。うちらの中でいう青少年とは、それすなわち「呑んだ暮れ」のことだ。

普通の人間なら、新婚の家なんぞ、結婚祝いのあとそうは邪魔しにいかないが、二人とも「是非来てくれ!」ということなので、マジで行く。お泊まりセットもって。バビロニアからもそこそこ近いし。おぐりも牛も呑んだ暮れだし。あと一人くれば麻雀もできてしまう。康雄あたりが候補だが・・・鬼嫁がいるからな〜。

来週、のび〜が結婚するため、バルデミで残されるのは、おいらとむんの2人。準部員の長尾もいれれば3人か。寂しくなったもんだ。

で、おぐり。男泣きをする。悔し涙というべきか。1週間前に入籍したばかりで、幸せの絶頂にいて、今日はいかにそののろけ話をいなそうかと考えていたのに、変えたばかりの石積み場が最悪らしく、それにたいしてむかつき泣きしていた。

愚痴は多少聞けるようになったと思ったが、この男泣きにはどうしていいのかわからず、ちょっと右往左往。

まぁ、世の中、「できないくせして、できると思ってる人間」とか「な〜んも、考えてない人間」がいっぱいいるってことらしい。

おぐりよ・・・なぜ生きいそいだのだ・・・今のタイミングで1ヶ月くらい休んでも、誰も文句いわんだろうに。わざわざ男泣きするために入ったようなもんではないか。

とにかく、何か言いたくても、経験値なさ過ぎて気の利いたこと何も言えず、とぼとぼ帰る羽目になった。

それにしても、すんげ〜久しぶりに誰かの涙みた気がする・・・。

おいらは「李逵」が死んだ時、かなり泣きそうになったけど。

追記
今日もスペイン行きが無期延期になってしまった。なんか携帯の調子もまたイマイチになったし・・・。



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