おいらの おいらによる おいらのための
スペインひきこもり日記!!
改め 日本出稼ぎ日記

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Toroさんの本能
2004年07月15日 (木)
う〜久しぶりの日記。なんか面倒くさいような嬉しいような・・・。

もう3時半なのでさくっと書くことにする。

Segoviaから車を飛ばしてValenciaの自宅についたのはだいたい4時頃。たまっているメールをそのままにしておくのは怖かったので眠かったがメールを受信する。絵はがきを書いたおかげか、友達からのメールがたくさん届いていた。眠いので斜め読みしてパソコンを消す。

起きたのは10時半頃。寝ぼけ頭のまんまレンタカーを駅に返しに行く。ついでに今日からタカシ君の家に2週間ほど滞在するマリちゃんの荷物をトランクに詰め込み、Mercado Central側のタカシ邸にまず行くことにする。

Valenciaはそこそこ大きい街で、車の流れを良くするためかわからないが一方通行が多い。かなり歩き慣れた街なのだが、車で通るといつもと違った感じで、車ということもあり恐怖さえ感じる。おいらは運転に集中したいので、マリちゃんにナビはすべて任せた。

一方通行表示に多少悩まされながらもタカシ邸まではそれほど苦労なくたどりつき荷物を下ろす。問題はここからだった。

指定された駅の駐車場にいきたいのだが、どこをどういっていいのかさっぱりわからない。一方通行の標識が常に邪魔をする。もっている地図には一方通行の表示は書いてないのでとりあえず走るしかなかった。さらに、ガソリンを満タンにして返さなければいけないというのに、ガソリンスタンドも見つからない。泣きながら車の多い市街をぐるぐる回る羽目になる。もうほとんど迷路

30分くらい市街を回り続けただろうか・・・このまま走り続けても二進も三進もいかないので、とりあえず簡単に止めれる駅目の前の駐車場に一時駐車し、レンタカー会社の人にガソリンスタンドの場所と駐車場への行き方を尋ねる。

再び地図を片手に走り始める。ガソリンスタンドでガスを入れ、そこからぐるっと駅裏まで回って駐車場へ導いてくれる看板を探すが、その看板を探すまでの間にも何度か同じ場所をぐるぐる回る羽目に。ロータリーってすごい便利な気もするが、ちょっとだけ怖い。

ようやく看板を見つけ、指定された駐車場が見えてきた。

「やった〜!ついに到着!」と両手をあげて喜ぶマリちゃん。

「待ちなさい!家に着くまでが遠足です!しかも、ここはスペインです。何があるかわかりません!気を抜くな!」と先生か親みたいな口調になってるおいら。

駐車場が5m先に見えてきた。少々安心するおいら・・・だが・・・

「ここは一杯だ!まっすぐいって右にある駐車場に行け!」と係員

右にいってある駐車場は先ほどおいらが一時駐車した駐車場で空いてるスペースはない。なのに、そこに誘導するなんて・・・。日本じゃあり得ない。

やっぱりここはスペインだ・・・気を抜いてはいけない・・・とブツブツ言いながら先ほどの駐車場に向かう。当然、駐車できるスペースなんてあるはずもなく、ひたすら同じ場所をぐるぐるぐるぐる。おれはハムスターかっつ〜の!

マリちゃんをおろし、レンタカー会社に聞きにいかせる。ガソリンも満タンにしたし、指定した駐車場にもちゃんといった。ここまでやって文句はいわれまい。

案の定、マリちゃんはレンタカー会社の人と一緒にやってきて、その人と運転を交代。

無事解放!

けど、駅に車を返しにいくだけなのに2時間もかかったうちらっていったい何?


腹の調子は悪いままだったが、何も食べないのもやばいし、げっそりしてきている感じがしなくもなかったので、いつもの立ち食いPaella屋でPaella valencianaを食べる。何度食ってもうまい!普段は2.5eurosなのだが、観光シーズンの為か3eurosに値上がっていた。50centimoの値上げ・・・なんかちょっとかわいらしかった。
(円に直すと少々がっかりするくらいの値上げだが・・・)


食後、家に帰って寝ようとも思ったが、暑さと腹の調子の悪さ、けだるい感じともう満身創痍だったため、タカシ邸(現マリ邸)で少々寝かせてもらうことに。

あっという間に眠りについた。

起きるとマリちゃんは読書をしていた。聞いたところいろいろやってて寝てないらしい。おいらが貸した「氷点」の下巻もほとんど終わりに近づくくらい読んでいた。人の家だから緊張しているのだろうか?おいらは数回しか来ていないタカシ邸でも爆睡できるというのに・・・神経の違いだろうか?


心地より眠りはSantiの電話によって強制的に終了させられた。

「Hola!正樹!元気か!ひさしぶりだな」と元気溌剌Santi。
「う、うん・・・」と寝ぼけ頭のおいら。
「旅はどうだったよ!」
「・・・うん、良かったよ・・・」
「今日、Corrida de Toro(闘牛)があるけど行くか?」
「・・・う〜ん・・・いくら?」
「タダだ、タダ!」
「そっか〜」・・・かなりおなかがやばいので悩むおいら。

「Harukaもいるぞ。知ってるだろ?」
「誰それ・・・しらない・・・」
「何行ってるんだ!!おまえのホームページをみて来た子だ!」
「あ〜〜!!あ〜〜〜!知ってるよ!」
「彼女も行くぞ」
「わかった・・・行くよ」

言い訳になるかわからないが、実は寝ぼけ頭だったということと、相変わらず苦手な電話での会話だったこともあり「Comida de Toro」と聞こえていた。意味としては「Toro(牛)の料理」という意味になる。

時期的にFeria(お祭り)ということもあり、闘牛場でEmbutida(肉とVino祭り?)みたいなのが開催されると、闘牛場に着くまで思っていた。しかし、ポスターをみてもそんなことはどこにも書いてない。闘牛士の名前が3人書いてるだけ。何のComidaがでるんだろ・・・とちょっと楽しみにしていたおいらは少々ビックリ。

ということで、はからずもあまり好きじゃない闘牛を見る羽目になる。

闘牛をスペインのイメージする人は多いが、日本の相撲みたいなもんで、興味な人はごまんといる。嫌いという人もおいらのまわりにはたくさんいるし、おいらもどうも好きにはなれない。

食わず嫌いは良くないので多少闘牛のことについて調べたこともあるが、そもそも「牛を殺す」という部分がおいらの頭の中で根強く抵抗していて駄目だ。最終的には食べるということだが・・・なんというか・・・。日本で言うならば「活け作り」の存在理由に疑問を感じるのと同じだ。おいらにとってはアレも必要ない。

確かに上手なMatador(闘牛士)がやるとかっこよくは見えるのだが、なんというか・・・う〜ん。駄目なもんは駄目みたいだ。

3匹のToroさんが殺されたあと、「ようやく終わった!」と帰ろうとしたところ、再び別のToroさんが。どうも1人二回ずつあるらしく、今日一日で6匹のToroさんが殺されることになっているらしい。

闘牛をみながら、Toroさんが抵抗できずにヒラヒラと舞う赤い布に突進していく姿をみてなんとも切ない気分になる。中には頭がいいToroさんがいて「ふん、おまえ等となんて遊んでられるかい・・・見せ物になるくらいだったらここでばっさりと殺せ!ここで寝ていてやるから!」くらいの牛が登場することを祈ったが、最初の4匹までは本能の赴くまま突進し、そして剣を刺されていた。

しかし、5匹目のToroさんはおいらが望んでいたToroさんだった。イマイチ乗り気じゃないらしく、最初は突進していたものの、中盤あたりから走るのをやめ、どこかうわの空。Matadorが目の前で赤い布をヒラヒラさせても微動だにしない。

観客の1人が「Matalo!!」(殺せ〜!)といっているのが聞こえたが、おいらは心の中で「そうだ!そうだ!」とToroさんを応援。なんか、そのToroさんに侘び寂びを感じた。

最終的には彼も殺されてしまう。しかも、かなりえぐい殺され方だった。Matadorの実力も関係してか、なかなか一息に剣が刺さらず何度も何度も刺されて苦しむ羽目に。もう見ていて本当に辛かった。うまい闘牛士というのは、Toroさんが苦しまないように殺す。その前にもう十分苦しんでいる気がしないでもないが、ホント一息だ。

Toroさんたちは剣をさされてもしばらくは死なない。死の瞬間だからか、思い切り暴れる。そして数分後に前足から崩れ落ちるように倒れる。もう全身血だらけ。そこに最後のトドメと脳天に剣を突き刺す。その時になってようやくToroさんは天に召される。一瞬だ。

その後、馬に引かれて(西部劇でよくある馬に引かれる人間のように)闘牛場を退場する。引きずられたあとに残る砂にできた溝が何とも切ない気分を増幅させる。

4匹目のToroさんの時のMatadorは「耳」をゲットした。

よい闘牛をしたMatadorは、その闘牛の「耳」を獲得することができる。その耳が多いMatadorほど「良い闘牛士」といえるわけだ。

闘牛が終わった後、観客は一斉に白い布やらティッシュをはためかせる。すると、観客席上部にいるお偉いさん方(スポンサー?主催者?)が、「耳」に値する闘牛だったかを考えて小さい「白い布」を彼らの席から垂らす。その白い布を確認すると、闘牛士は彼らの席に向かって一礼をし、耳を切りとって得意げに持ち帰る。

今回は耳一つだったが、さらにいいと耳二つを持ち帰ることもできるらしい。

4回目の闘牛は他のと比べて確かにスマートだったし、華麗だったのだが・・・やっぱりToroさんが殺されてしまうことには納得ができない。

この一種の残虐面(?)って人間の原罪なんだろうか?う〜ん。おそらくおいらには一生理解できないと思われる・・・。

闘牛後、costaの日本人メンバーと一緒にHarukaさんとそのお連れさんと合流。総勢7人の日本人。しかも、6人も男!!う〜ん素晴らしい!初めてあった年齢の近いシュウジ君はバリバリの体育会系で、Cervezaを頼みに席をたったおいらのあとを慌ただしく追いかけてきて「そんな目上の人に注文をとらすなんて・・・そんなこと・・・」と一言。

久しくそんな世界に身を置いていないのもあり、なんか微笑ましくもあり、こっぱずかしくもあり、そして、笑えた。

そんなおいらはというと、初めてあった年上のHarukaさんの連れにため口(相手は丁寧語なので、たまに意識してしまって丁寧語)。

この差って・・・なんなんだろう?

休載
2004年07月03日 (土)
15日まで旅行のため休載。
詳しくは後日執筆予定の旅行記に書く

冷やし西班牙
2004年07月02日 (金)
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日記を書こうと思ってPCの前に座るや否やFiestaに拉致されてしまった・・・。
帰ったら日記を書くことにする。うぬ〜。

ただいま4時22分。他の皆には悪いが脱藩してきた・・・。旅行前にあまり金をつかいたくなかったのと、明日もタカシ君のFiestaがあり、次の日から旅行ということを考えると、エネルギーを消費したくなかった。Santiの「なんで帰るんだよ!」という目が痛かったが、心を鬼にして帰ってきた。Manolo、Santi、Alexの3人は12euros(一杯つく)払ってFiesta privadaに行った。

日記を書く。

カードの件でかなり厳しくなっていた旅行の準備でにわかに忙しくなる。朝からestacion de norteにいってレンタカーの予約をする。12日間で320euros。1人頭160euros。ネットで調べた時は250eurosだったのでびっくりしたが、カウンターの人曰く「Super barato」(超安い!)とのこと。車種がワンランク上なのでその値段になったようだ。まぁ、12日間を電車とバスを利用していくとさらにお金がかかるだろうし、レンタカーじゃないとBeneventeのパラドールには泊まれないから思い切って借りた。レンタカーだと自由度が圧倒的に違う。

家に帰ると、カルミナ(スペルわからじ)とその友達(前にあったが名前を忘れた)が遊びにきた。カルミナはアイルランドで仕事をしているスペイン人でManoloの古くからの友達。去年一度あったことがある。

彼らと昼食にPaellaを食べる。Manolo作だ。相変わらず激ウマ!おいらも先のことを考えて修行しないと・・・。作れるには作れるが、Manoloほどうまくできない。

カルミナがPaellaのエビを「春にあげよう!」とTerrazaで爆睡してた春の目の前においた。匂いで目を覚ましたまではよかったが、エビなんて食べたことのない春はそれが何か不思議らしく、手でもてあそぶだけでいっこうに食べようとしない。

「春!おまえの本能はどこにいった!猫ならみなかぶりつくぞ!」といったのだが、結局彼女にとっては得体のしれない物体でしかなく、無視してまた寝てしまった。

飼い猫の悲しい性かもしれない・・・。Pobresita・・・。

朝にメールしておいたパラドールから添付ファイル付きメールで返事が来たのでフロッピーにいれて学校に。仕事中のSantiを呼び出して予約用紙(PDFファイル)を印刷してもらう。これでレンタカーとパラドールの予約が完了。あとは野となれ山となれだ。

Santiに印刷してもらったあと、Kristinの家に行き自転車を売ってもらう。30euros。Kristinに売ってもらったからかなり安くすんだが、こちらでは普通に買うと何故か自転車は高くつく。以前なんでか聞いたところ、あまりメジャーな乗り物ではないらしい。というか、盗まれることが多いからみな持たないらしい。乗っている人はたくさん見かけるのだが・・・。みなかなり厳重に鎖をつけている。

Kristinと別れたあと再びSantiと合流して一緒に帰る。そして例の如く「正樹・・・Cervezaだろ?」といわれ「porque no!」(飲まないでか!)と答える。Santiが外にBarra(カウンター)がある店がいいというので、Bar Gulliverへ行き一杯だけ飲み、家に戻る。

家に帰るとすぐさま夕食の準備をする。先日、Manoloたちが「夏用の食事」のレシピを探していたのを見て、日本の伝統的な夏の食べ物「冷やし中華」を作ることにする。Manoloの弟Alexも来ることになったので、急遽4人前作ることに。

探せばあるかもしれないが、こちらでは中華そば(?)は手に入らないので、普通のスパゲティーを使うことにする。名付けて「冷やし西班牙」または「冷やし伊太利亜」といったところだろうか。

冷やし中華なんて日本でも作ったことがないので(市販のやつはあるが)、試行錯誤で作る。具は椎茸、卵、トマト、キュウリ、ハムとメジャーなところは当然いれて、あとはオリジナリティー(入れてるやつもあるが)を出すために、ワカメ、小エビも入れる。

見た目は冷やし中華っぽくなった。で、味・・・。うん、冷やし中華!。いや、冷やし西班牙!!「もどき」とはいえ、悪くない。お店で食べるよりは美味しくなかった気がしないでもないが、初めて作ったわりには成功したのではないだろうか。

食後・・・

「正樹!準備はできたか?」
「え?何の?」
「Fiestaだ!Fiesta!」
「え?明日もFiestaあるじゃん!」
「そうだけど、今日もでかけるぞ・・・どこいく?」
「・・・・」

旅行の準備をしようと思っていたのだが・・・・

10分後・・・・

「プランができた!Germanのところに行くぞ!Eriが来てる」

Eriはオーストリア人で、一年前くらいにValenciaに住んでいた。彼女は休暇をとってGermanの家に滞在しているとのことだった。一度だけ夕食をとったことがあるが、Bastante Guapa(十分可愛く)、すごいsimpatica(いい子)だ。

「Eriか・・・懐かしい」
「知ってるのか?正樹・・・。じゃ、いくぞ・・・」
「・・・・わかったよ」
「ちゃんとかっこよくしていけよ!」

服をいそいそと着替えて、Manoloに「どう?」と聞く。

「袖の無いヤツはないのか?そのTシャツじゃ駄目だ!」
「・・・・タンクトップか・・・わかったよ。」

再び着替える。

「これならどう?」
「よし、それならいい。が・・・髭を剃れ!」
「・・・はい・・・(せっかくまた伸ばしてラテンになろうと思ったのに)」

髭をすべて剃る。

Manolo、皆に・・・

「おまえら!ちゃんと身だしなみは整えたか!」
「Mas o menos!」(だいたい・・・)

周りは何故か大爆笑。

Fiestaというのは一種出合いの場であるので、みなちゃんとオシャレをする。普段は化粧をしない女の子たちも、Fiestaのときはバッチリメイクをして出かける。服装も日中なら絶対に見ない格好だ。おいらには少々やりすぎな感じがしなくもないが、元がいいので似合うから恐ろしい。

おいらはその辺はどうでもいいので、適当な服ででかけるが、歩くときは肩で風を切るように歩く。

GermanとEriと合流して、そのままPinballへ。おいらのお気に入りのDiscotecaだ。古めかしいRockがかかるので、世代的にちょうど良かったりする。

ここで偶然KristinやToniたちと出会い、さらにはギリシャ人のCostasとも遭遇。パーティは一気にふくれあがり、盛り上がる。

ここで3時半くらいまで踊る。そして・・・冒頭に。

とりあえず、旅行に備えてもう寝る。

追記
SantiにSalamancaの方面に旅行に行くといったら、「Lago de Sanabria」(サナブリア湖)という場所を薦められた。ポルトガルにかなり近い場所だが、宿泊予定のBeneventeから一時間半くらいということなので、候補にいれてみることにした。とにかく素晴らしい場所らしい。釣りとかもできちゃったりとかなんとか。その話をしたいたSantiは「あ〜〜〜!急に釣りがしたくなった!!」と叫んでいた。時間を作って行ってみようと思う。

にわかに・・・
2004年07月01日 (木)
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忙しくなったため、1,2日、Relajarを兼ねて少々pausaをとることにした。

なんか考えなければいけないことい〜〜〜ぱいなのに、疲れてるし、停滞してるし、暑いし・・・。

考え出すと止まらなくなるので、思い切って考えるのをやめることにした。

母親からメールがきた。7月10日に修羅場が待ってるらしい。というのも、パキスタン人の友達のお母さんが日本に遊びにきていて、その友達の奥さんとお母さん、そして母親の3人でランチをすることになったらしい。「一週間あるのでパキスタン語と英語を勉強します」と書いてあったが、1週間で語学なんとかなるくらいだったら、おいらはわざわざスペインになんてきてない(笑)。やらないよりマシだけど・・・。以前パキスタンには遊びにいったとき、パキスタンの言語「ウルドゥ語」を聞いたが・・・もうちんぷんかんぷん。英語を話す人もいたが、ものすごい訛り(?)が強かった気がする。おいらが離していた英語を何度も直された。サンキューをタンキューと言え!などなど。あと、「アチャ!アチャ!」と女の子がいうのが可愛かったのだけは記憶がある。

Que tengas suerte!


それにしても、cervezaがうまい季節になった。普段はあまりcervezaは飲まないが、この時期は別らしい。五臓六腑に染み渡るというのはこういうことをいうのだろう。

昼間はタカシ君とEl Kioscoで昼食を兼ねて軽く飲み、さきほども家から歩いて一分のIrun~aのTerrazaでマリちゃんとまったり飲んできた。

そよ風と隣席から聞こえる喧噪に近い喋り声が心地よい。

やっぱスペイン語の語調って好きだ・・・。

写真:Terrazaで寝る春・・・女の子なのに・・・(笑)

たこ焼きFiesta
2004年06月30日 (水)
ことの発端はRequenaにいかなかった貴子ちゃんからの依頼だった。メールで「3人で打ち合わせをして日程を教えてください」という何とも奇妙な表現で頼まれた。

「ぬ?打ち合わせ?なにを打ち合わせればいいんだ?」

と最初は考えたが、ようは「あたしのためになにかやって!」という箱入り娘貴子からの注文であった。

RequenaのCafeで注文通り「打ち合わせ」をした。その前に関西人2人組が「たこ焼きくいて〜〜!!」と叫んでいたのがきっかけで「たこ焼き」を食べるFiestaとなった。たこ焼き器はおいらがこっちに来るときに友人が「もってけ!」とくれたもの。一回に9個しかつくれない小さいものだが、大阪の出張の時に買ってきてくれたので結構本格的だったりする。最初はせっかくもらったのだが、あまりの重さに持っていくのを断念したのだが、母屋に荷物を送ってもらうときにわざわざ一緒にいれてもらった。

母親が気を利かせていれてくれた「乾燥エビ」をみて、Santiが狂喜乱舞する。Salonに走っていくとなにやら小さな丸いケースを持っている。見ると「亀の餌」だった。

「見ろ、正樹!!!同じだ!!!」と亀の餌の中身を見せてくれる。

たしかに大きさは亀の餌の方が小さいが、紛れもなく乾燥小エビだった。

「日本人は亀の餌を食うんだ!!!」と嬉しそうに叫ぶSanti。

それ以来、乾燥エビを見せると「わ〜亀!亀だ〜〜!日本人は亀だ〜!」と逃げ出す。面白いから放っておいている。

さて、たこ焼きFiestaに話を戻そう。

Santiが体調を崩してしまい、家で騒ぐのも申し訳ないので急遽場所を変更してタカシ邸でやることにする。タコやネギ(似て非なる野菜だが)などはタカシ君が近くのMercado Centralで調達していてくれた。

メンバーはタカシ、貴子、マリ、おいらの4人。Tomokitoも誘うと思ったが、Barcelonaに旅行中ということで諦めた。

関西人の前でたこ焼きを作るのは怖いので、すべてタカシ君に任せる。下手に作ると、タカシ君に海原雄山よろしく

「こんなのはたこ焼きじゃない!!」
ガラガラガッシャーン(机をひっくり返す音)


とかやられそうだし。

タカシ君が楽しそうにたこ焼きを作る中、おいらはまったりテーブルで中島らもを読みながらcervezaを飲む。

一回で9個作れるたこ焼き器で、いったい何皿作っただろうか・・・9皿くらい作った気がしないでもない。いや、もっとか?

一回目は味はたこ焼きなのだが、パンケーキっぽい感じになってしまい初代タカシ君は少々悔しそうだったが、回を重ねるごとにたこ焼きに近づいていき、最後の皿はもう完全にたこ焼きだった。

気を良くしたタカシ君は「よし!たこ焼き屋を始めよう!日本に帰ったらもっと大きなたこ焼き器をもってくるで〜!!」と叫んでいた。皆で値段の設定までした。9個入りで一皿5euros・・・悪くない値段だ。

スペインでたこ焼き屋で生計を立てる日本人・・・・それも悪くない。

全員腹が減っていたため、小出しにでてくるたこ焼きでは腹がおっつかず、6皿目あたりを食べ終わった頃に米を炊くことにする。

大阪には「たこ焼き定食」なるものがあるらしい。関東だとお好み焼きとご飯を一緒に食べることはあまりないが、関西ではあたりまえということは知っていたのだが、まさかたこ焼きとご飯という組み合わせまであるとはしらなんだ。

炭水化物同士か・・・と最初は微妙に抵抗があったが、食べてみるとうまかった。というか、満足度が圧倒的に違った。ジャガイモのみそ汁も作ったので、それと一緒にひたすらかっくらう。贅沢にも日本酒も飲んだ。石川の「香林」という日本酒。タカシ君の友人がわざわざ送ってきてくれたらしい。

紙パックの日本酒でも十分満足してしまっていたが・・・やはり格が違う。かなり甘めの日本酒だが、ぐいぐいいけてしまう。酒をほとんど飲まない女の子2人も美味しい美味しいと喜んで飲んでいた。

いや〜やっぱり日本の食文化てすごい。

タカシ君が買ってきたCerveza2本とおいらが買ってきたCerveza2本があっという間になくなってしまい、最後のVinoを飲み始める。

そのあたりから、タカシ邸はDiscotecaに変貌した。

机を端に無理矢理どけ、踊るためのスペースを作る。曲は、最初はFlamenco。タカシ先生の振り付けの授業が始まる。おいらは最後にみたcafe del duendeのダンサーみたいにひたすらジャンプしては腿をたたいて踊っていた。

Flamencoに疲れたころ、salsaに曲を代える。ベタベタだがやはり踊りやすい。全員素人の付け焼き刃なのだが、全員日本人だし、素人なので、思う存分好き勝手に踊る。タカシ君なんてたまに盆踊りをアレンジしていて、マリちゃんの笑いを誘っていた。みな、なんとなく、それらしく踊るから面白い。

まだ来たばかりのマリちゃんだけは「なんでみんな踊れんの〜!あたしセンスないねん!」と照れてすぐ椅子に座ってしまう。それを皆で囲むようにしてジリジリ攻め寄り強制的に踊らす。彼女も酔っぱらって力が抜けたため、後半はかなりそれらしく踊れるようになっていた。そのせいで、最後はつぶれていたが・・・。

もう皆汗だくだが、楽しすぎるのか顔は笑顔のまんまだった。ちょっと「ええじゃないか」っぽかった。

最後のVinoがあいてしまったため、酒の買い出しにでる。Barrio de Carmenのあたりまでテクテク歩いていき、適当にうまそうなVinoが売ってそうなBarにはいる。

正「Vino一本いくられすか?」
店「8eurosだよ」
正「う〜ん・・・高い・・・」
正「どうしようか・・・8euros・・・でも、ないと困るし・・・」
高「Sidra(シードル)はいくら?」
店「4eurosだよ」
高「Vino2本、Sidra1本買ってこうか?」
正「いや!Sidra2本だ!出し惜しみは良くない!飲むで〜!」
正「すいませ〜ん、Vino2本と、Sidra2本くらさ〜い」
店「おまえら飲むな〜まだ水曜日だぞ!eh!?(ニヒルな笑い)」
高「うちら学生で学校が終わったからね」
正「(おいらは違うけどね・・・)」
店「ほらよ・・・」
正「ども!」
高「じゃね〜」

ということで、酒一気に大量追加。8eurosのワインはLa Manchaのワインだった。値段に相応して、かなり味わい深い。一本目は簡単に空き、Sidraに突入。

マリちゃんがかわいいTatuaje(Tatoo)が入れたいという話から、2人でマリちゃんの腕にTatuajeを彫る・・・いや書く。それがそのまま落書きに、さらにエスカレートしていき、「落顔」にまで発展する。

タカシ君は「デル・ピエロや!」と細い髭を顔に書き始める。おいらはとりあえずお約束で「米」を書き、「テリーマン!」と騒ぐ。マリちゃんは眉毛を太くされ、まぶたにまつげをかかれていた。貴子ちゃんにもビンディーを書きたかったのだが、拒否された。

「米」だけじゃ物足りないので、おいらは「ダリ髭」も追加した。自分の顔がなんとも魅力的な顔になった。ダリ髭効果、恐るべし!!

落顔はさらに本格的なものになって、メイクのレベルにまで達した。ただメイク道具は「筆ペン」一つというもの。水墨画・・・って感じ。

おいらはメイクアップアーティストのタカシ君により、濃い顔をさらに濃くされる。小学生の頃からボコボコの顔はコンプレックスがあり、さらに濃くしようと思ったことはなかったが・・・以外と悪くない!中途半端に濃いから駄目なんだということが判明した。

「俺たちかっこよくない??ねぇ?かっこよくない??今ナルシストの気持ちが分かったよ!!!俺たちも頑張ればかっこよくなれるんだ!」と女性陣2人に叫びまくる。

そして、「こんなアホなこと、この年になってマジ顔でやってるのはうちらくらいいやろな〜」と開き直って、ナルシスのお約束でポーズ(かっこよく決めているつもりの)を決めて写真を撮りまくる。

おいらは少々濃くなりすぎたらしく、「日本人じゃないのが1人おる!ラテンやラテンや!」と言われ、嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちになる。

酒飲んで踊って、はしゃぎまくったせいで、タカシ君が「もう駄目やわ・・・」とダウン。マリちゃんは弱いのに飲んでしまってもっと前にダウン。貴子ちゃんがタカシ君のベッドを占領し、タカシ君は床に寝る。

おいらはぽつんと残されてしまったため、おとなしく寝ることにした・・・。

Requenaに引き続き何とも壮絶な一日となった・・・。
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