おいらの おいらによる おいらのための
スペインひきこもり日記!!
改め 日本出稼ぎ日記

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NintendoDS
2007年11月04日 (日)
coger a 人 desprevenido(da):意表を突く
pilla a 人 de nuevas:意表を突く(口語)
coger a 人 de(por) sorpresa:意表を突く(驚かす)

使ったことないからなんもいえん。だけど、基本となってる動詞・・・cogerとpillar。これにはちょっとした想い出あり。

「ちょっと持ってて」というとき、「coge!」と言う。ちょっと語気的に強い感じがするが、友達同士ならよくつかってた。「coge porfavor」とpor favorをいれてもか。普通は、もってもらうものによって「lo」とか「la」が後ろにつく。「cogelo」、「cogela」と。さらに間に「te」が入ることもあり。

で、Manoloの妹でSuper Guapa、demasiado GuapaなLauraが、おいらにむかって「pilla!」と物を差し出したことがあった。おいらは突き出された物を意味わからずとりあえず手に持つ。「pilla?」となんだその単語・・・と考えてると「Gracias」とLaura。

「『pilla』ってなに?」と聞くと、「coge」と同じ意味よ・・・と教えてくれたが、なぜかはにかむLaura。Santiがやってきて、おいらにさらに説明してくれた。「pillaはcoloquialな言い方なんだよ」。coloquialとは「砕けた感じの日常会話」的な意味だ。だからといって、Lauraがはにかんだ答えにはならない。かといって「なんではにかんでるの?」というスペイン語は当時のおいらにはとても表現できない。なんか腑に落ちなかったが、Super Guapaな癖して、よくManoloのママン(つまり、Lauraのママン)と口げんかしたり、Manoloに刃向かってばかりのLauraがはにかんだ姿をみれたのはラッキーであった。

どうでもいいが、スペインにいて、Lauraの名前で外れたことは一度もない。タダの一度もだ・・・。全員Super Guapaだ。だから、おいらももし女の子供ができたらなんとしても「ラウラ」という名前をつけようと考えたが、日本でそれやったら「恥」以外の何ものでもない気がしたので、泣く泣く諦めた。鉄腕アトムにでてきそうな名前だし・・・。

話がそれまくった。

斬切り頭をいくら叩いてみたところで、まったくもって文明開化の音がしない我が町Utiel。よく、ヨーロッパで歴史あふれる都市を表現するときに「時の流れからとり残されたような・・・」みたいな表現が褒め言葉として使われるが、我が町Utielは、本気でとりのこされてる町で、とにかくなんもない。

だが、2日・・・ついに近所に・・・といっても車で5分くらいかかるのだが・・・TSUTAYAができた。

「あ〜映画怖い、映画怖い」とうひうひ言いながら調査にでる。マリカルメンをつれて。

レンタルスペースもそこそこの規模あるが、それだけでなく、本屋や文房具、ゲームコーナーまで一緒についている。「巨大」とはいえないまでも、「中規模」なTSUTAYAだ。スペイン映画の品揃えなんかも一応確かめ、プラプラTSUTAYA内を散歩する。その前に、TSUTAYAカードを作成する。

どうでもいいが、またここでもクレジットカードを作ってしまった。カードは使わないからいらんのだけど、そういう輩を引き込むべく、相手も手を変え品を変え攻撃してくる。これまでスペイン生活で使う一枚だけだったが、ヒムナシオに入会したら一枚作らされ、ここTSUTAYAでも一枚作る羽目になった。別に作らないでもいいのだが・・・やはり得するのはカード付きの方。「カードはもってもつかわなければいいのさ」と自分に言い聞かせて、カード付きを注文した。

初日というのもあり、DVDレンタルも100円のセールをやっていたが、ゲームなども「本日限り」みたいな感じでセールをやっていた。その中にNintendoDSがあった。もとの値段をそもそも知らないが、「セール」となっているので安くなっているのだろう・・・。

マリカルメンの誕生日が近いので、かなりの冗談で「誕生日・・・NintendoDSこうてやろうか?」といってみたら「え〜〜〜!!!ホント!??」と目を輝かすマリカルメン。

かなり意表を突かれた。NintendoDSなんてほしがるなどとは露にも思わず・・・思い返してみれば、確かに、これまで多少興味がありそうなことはいっていたことはあったが、それはおいらと同じで「少しくらいやってみたいよね〜」という程度で、それは誰か持ってる人のを借りて少し遊んでみたら満足する程度だと思っていたのだ。

ということで、冗談が本当になり、NintendoDSを購入することになった。おいらは、この手のゲームは危険なので、自分では持ちたくない。はまったらはまりまくるから。そうすると、あれよあれよと時間が減っていく。自分の感覚よりも3倍速くらいで・・・。それは、つまり、日記も含めて、なにも進まなくなるということだ。マリカルメンは通石積みの行き帰りにやるとかいっているが、おいらはそんな綺麗に割り切って遊べない。遊ぶとなったらとことん遊んでしまうのだ。

まぁ、なんでもいいや。

とにかくNintendoDSゲット。

おいらは見てるだけでいい。それか期間限定で借りるだけでいい。

CDをとりあえず借りる。

調練にぴったりの曲が「Boom Boom Satellites」ということがわかったので、まだ聞いたことがない、初期のアルバムを二枚ほど借りた。だが・・・どちらも調練には会わない曲ばかりでがっかりな結果に終わる。結局「ON」のみだということだ。

もう一枚は、先日寅さんと滋賀の旅にいったとき話にでていらい、どうにもこうにも頭から離れないDef LeppardのHysteria。おいらにとっては青春の一枚だ。中学生当時、Guns N' RosesのAppetite For Destructionと並んで何回聞いたかわからないアルバム。

ただ、中三以前のCDなので・・・火事で燃えた。

買い戻す財力もなく、そのまま今まできてしまったのだ。

ちなみにGuns N' RosesのAppetite For Destructionも水に濡れ、CDにも煤がつき、焦げたといえば焦げたのだが・・・なぜかCDプレーヤーは読み取ってくれたので、今も手元にある。

マリカルメンはなぜかミスチルのHOMEを借りたが、これも外れ。イマイチであった。5枚で1000円の最後の一枚はLou DonaldsonのAlligator Bogalooというアルバム。普通によかったが、普通すぎた。今度から借りるときはきちんと視聴してからにしようと心に誓う。今日は文明開化の押し寄せる波にやられたということで許すことにする。

NintendoDS・・・ゲームウォッチで遊んだ世代のおいらからすると・・・まさに文明開化である。単純にすごいよ。感動さえ覚える。

でも、まぁ、無くても生きていけるけどね。

黒目がち
2007年11月03日 (土)
bonito:(形) かわいらしい、きれいな、すてきな、すばらしい、心地よい

まぁ、いまさら説明書くのもあほらしい単語なので省く。あ、そうだ・・・全く同じ単語で別の意味がある。「マグロ」。これの方が大事かも。日本人にとっては。Atúnの缶詰(日本で言うツナ缶)は安いが、bonitoの缶詰は高い!見た目はほとんど同じなのだが・・・。我が家でも滅多に買わなかった。たまに誰かを呼んでのちょっとしたCena(夕食)がある時とかに買ったりする。おいしいんだ。濃厚で。

魚介で有名な街・・・Galiciaとかいったらbonitoを食べるべき。ただツナだと思って軽くみていると、結構な金額もっていかれる。まぁ、払えない額ではないが・・・。あくまでおいらの金銭感覚での話しだ。

自己完結生活脱却の意味も含め、mamiさんと遊ぶ。まぁ、マリカルメンがかなり前から「mamiさんと遊ぶ〜遊ぶ〜」とうるさいから、セッティングしたというのもある。

場所はいつものように近所のジョナサン。今回はお子さんを二人つれてきてくれた。男の子と女の子。5歳と3歳。

いや〜かわいいのなんのって・・・旦那さんは南出身なので顔はかなり濃いという話は聞いていたが、それを見事に受け継いだのか、3歳と5歳なのに、目鼻立ちがえらいはっきりしている。3歳の女の子は当初人見知りをし、思い切りいやがれたが、5歳の男の子は、屈託無く話をしてくれた。女の子の方も、甘い物とおいらの必死の懐柔策が功を奏したのか、少しだけ心を開いてくれ、帰り際には手を振ってさよならまでしてくれた。感無量なり。

女の子の方は口がおぐり以来久しぶりに見る立派なアヒル口で、映画「ポネット」のポネットに似ている。まぁ、おいらしかそう思っていなかったようだが・・・。日記のコメントで「3歳にしてシナを作る」というのがこの子ということを思い出し、思わず唸る。こりゃ、お父さん骨抜きだわ。

って、あまり必死に書くと、おいらが危ない人間に思えてくるのでやめておこう。


ちなみに、スペインで小さい女の子を「かわいいね〜」と表現する場合、「Bonita」を使わないといけないらしい。普通の女の子に使う「かわいい」はGuapaだが、それを使うとあまりよくないらしい。と、Manoloが教えてくれたのだが、普通にスペイン人(じいちゃん、ばあちゃんなど)は小さい子に「Hola!Guapa!」と使っている。3歳、5歳にはいいのかもしれない。また、じいちゃん、ばあちゃんはいいのかもしれない。ただ、小学生とか中学生くらいだとまずいのだろうか?

イマイチ、その境界線がわからなかったが、わざわざ説明してくれたくらいだから、そういうニュアンスもあるんだろう。

子供たちが甘い物と甘いジュースに飽きた頃解散。

自己完結脱却の予定だったが、子供を見て過ごしてしまった・・・。mamiさんも完全にお母さんモードだったので、なんかみていて新鮮だった。「お母さんだね〜」とあまりにも当然なセリフが思わず口にでてしまったくらいだ。

いいお母さんだ。

スーツ姿
2007年11月02日 (金)
traje:(名)服、着物、衣服、服装、スーツ、背広、ドレス

バレンシアでは、滅多にスーツ姿の人なんぞみないのに(Siesta時にCentroをプラプラしてると出会えるが)、学校の授業では普通にでてくるtraje。実際に使う場面なども、「日本人はみんなtrajeなんだろ〜」という時くらいしか記憶がない。日本人=traje。うん。それは会ってると思う。

3ヶ月ぶりに、ヘケットさんとラクシュミさんと呑む。呑むたびに「あの賽の河原で共に石積んだ人と呑んでるんだよな〜」と不思議な気分におそわれる。もっとも「呑み」から縁遠い石積み場だったのに・・・。

待ち合わせ場所につくと二人ともすぐに見つかったが、心なしか「きょとん」としている。「ぬ?」と思ってると、

「スーツ着てたらわかんないよ〜」
「スーツで来るなんて聞いてないよ〜」
「ヨモツシコメさんとスーツって全然イメージ沸かないよ〜」
「そんな格好してたらすぐそばにいても気づかないよ〜」

とケチョンケチョン。

おいらとしては、4ヶ月たって、そろそろスーツ姿も、髭なしも板についてきた(髭なしだけはまだおいら自体が慣れず、週末だけ未練たらたらで伸ばしている。無精髭)と思っていたところなので、「やっぱり、おいらスーツきちゃいけないんじゃん・・・」って、かつての自分に戻ってしまった。

二人の近況をメモる。

なんという偶然か、なんというタイミングが、おいらにも女の・・・じゃない、第六感・・・横文字でいえばシックスセンスみたいのものがついたのかもしれない。連絡した日に、ラクシュミさんは籍を入れていた。返事は「名字かわったんです〜」ときて、「おおおお〜〜!」と一人ディスプレイの前で叫んでしまったくらいだ。

彼は、あの四谷の夜に、おいらとヘケットさんをおいて車でぶい〜んと帰ってしまった彼だ。別に恨んでるというわけではなく、「迎えに来てくれる人がいいな〜」としみじみ思っただけだ。

なんともめでたいので、この日はラクシュミさんのネタを肴に呑む。

ヘケットさんは、無事、いかがわしい(嘘だらけの)石積み場を退職。なんとか逃げ切ったらしい。社会保険完備といわれたのに、そんなもんもなく、ソフトはすべてコピーで、作ってるサイトも風俗サイトだらけ・・・。ヘケットさん曰く、「私、もう何年も石積み場にあたってない・・・」。それは、当然「賽の河原」も含めてのことらしい。今は再びひきこもり生活に突入し、夜な夜なDVDを楽しんでいるとのこと。

変わり者だが、とても面白いので、誰か友達を紹介したいのだが・・・さすがにおいらの周りも結婚ラッシュで、似合いそうなのがいない。まぁ、本人は焦ってないみたいだから、別にいいんだが・・・。

ここ最近、ず〜っと独りよがり、自己完結な生活だったし、会話があったとしても、ある特定の人間との会話だけで、世界観がエラク狭かったが、今日は久しぶりに趣のある一日であった。

人に歴史あり(後編)
2007年11月01日 (木)
imprevisto/ta:(形)予見できない、不測の、思いがけない (名)1.(〜s)臨時の出費 2.不測の事態
impensado/da:(形)予期しない、意外な、突然の、思いがけない、偶然の
inesperado/da:(形)予期しない、思いがけない、意外な、突然の
insospechado/da:???(西和にない・・・かわりに、insospechableならある)
fuera de todo cálculo:予想外

「予想外」を調べたら、予想外にでてきた。予想GUYデス。なじみがあるのがimprevistoとimpensadoしかない。上にある日本語同様、言い方がちょっと違いだけで、使い分けは特になさそう。inとimのあとに続いてる単語的に・・・。だから、覚えるのは簡単そう。

日記。

明日の呑みの約束が入ったので、興奮しつつ調練へ。「うしっ!明日は呑みだ!会話だ!今日は気合いいれて走るのし!9時から秘密のケンミンSHOWあるし・・・」と息巻いていく。

ヒムナシオにはまだ30秒くらいかかるという位置から、変な男が振り返りつつチラチラとおいらの顔をみる。「知り合いか?」と思ってこちらもしっかり見るが、見たこともない顔。おいらは完全に調練スタイル。「やるならやったるで〜!明日呑みだしな!」と、進むにつれて、明らかにジロジロみてくるので、ちょいと腹立たしくなってきた。

ヒムナシオまであと数mってところで、その男が話しかけてきた。

「調練ですか?」
「ええ」
「今日1日です・・・」
「え?」
「メンテナンスの日なんです。申し訳ございません」
「あ、いえ・・・こちらこそ・・・あいすいません・・・いや本当に・・・」
「またよろしくお願いします・・・」
「え、あ、う・・・はい・・・」

いい人でした。

別れてすぐ気づいたが、ここまでヒムナシオまで近づかなくても、真っ暗なので、もっと手前で気づいてもよかった。だが、その彼に「なんじゃわれ〜!」的な目でみていたため、入り口に行くまで気づかなかったのだ。

メンテナンスじゃしょうがないが・・・ちょっと休みすぎじゃないかい・・・このヒムナシオ。だから6300円ってのもあるんだろうけどさ〜結局、今週も2日しかいけないってことじゃないか!!なんか、ここまでストレスたまるなら、平日会員じゃなくって無制限なやつにしてやろうかとも思うが、週末は絶対遊びたいので、それはやめておく。

ということで、またもや中5日決定・・・あ、違うや。第一週目の月曜日は営業してるから、中4日で済むのか。まぁ、許してやろう。

とぼとぼおうちに帰ってきて、秘密のケンミンSHOWを見る。

この番組・・・方言、地方好きのおいらのためにあるような番組。かなり気に入っていて、毎週楽しみにしている。友達が恥ずかしがったり、「東京もん相手じゃ無理〜!」といってなかなか聞かせてもらえない方言を思う存分楽しめる。

今日は、名前も顔も知らないが、山形の子の方言を聞いて心ときめく。悪くない。言葉は普通の標準語なのだが、イントネーションが良い。いい響きだ。

こういう番組をみてしまうと、旅欲求が減ってきたとはいえ、どっかに行きたくなってしまう。

番組のコーナーじゃないが、おいらはず〜〜〜〜と横浜だし、パパンは一応群馬出身だが、おじいちゃんが一念発起して、今の場所で店を始めたため、田舎はない。せいぜいお墓参りのときくらい。パパンも子供の頃にこっちに来てるので、ほとんど横浜人だ。ママンも実家は川崎。田舎なき子っていうのは、ホントつらい。

だから、おいらはスペインにはまったのかもしれない。スペイン・・・バレンシアを自分の田舎に見立ててるのかも。だから、バレンシアに行くのは旅というよりは帰省っぽい感じが実際ある。で、スペイン語がおいらにとって故郷の言葉になるのか。いや、それはちょっと言い過ぎか・・・そこまで話せないし。バレンシアーノ(バレンシア語)を話せるようになったら、もっとその思いは強まるかもしれない。うん。それ楽しそうだな・・・。

今回は、組み分けする「グッパー」について。グッパーが主流みたいだが、「うらおもて」で組み分けするところがあるということをしり、唖然とする。そして、おいらが住みたい福岡には「グッパー」のような組み分けジャンケンがないらしい。長崎はうらおもてらしいから、今度、松原さんとあったら試してみよう。新潟もうらおもてだってなってたな・・・。

いいな〜田舎(故郷)が欲しい。横浜好きだけど、東京が近すぎて、なんか面白くない。方言があるところに住んで、方言にかこまれて生きたい。で、自分も方言話せるようになりたい。まぁ、住んだ時点で「方言」ではなくなるのだが・・・。方言が話せるだけで、その辺の子もエラクかわいく思えるから、いろいろ楽しいそうだ。

そうだ。一昨日の続きを書こう。

日記について。どこまで書いたんだっけ・・・。

大学までか・・・。

a ver...

2001年〜(大学院編→社会人編)
卒論は「藤岡屋日記」という、どえらい量の他人の日記。文化元年(1804年)〜明治元年(1868年)までの間、江戸で起こったことを客観的に書いてある日記で、150冊以上ある。図書館にあるやつは、厚さ・・・10cmくらいはあるんじゃないだろうか・・・それが15冊以上ある。もうホントエライ量なのだ。関東大震災でもえちゃったけど。

主観的なことは全く書いてない(藤岡屋日記の前のものは違ったが)。そして、一行しかない日もあるが、かなりの量なので、そういうのをみるとほっとしたものだ。

まぁ、それはいい・・・おいらの日記とは関係ないし。とりあえず、大学の専門や論文の関係で、他人の日記を読むことが多かった・・・と書きたかっただけ。

で、大学院にいったあとに、自分が本を全く読めない人間・・・読むと死にそうになるということに気づき、嫌になる。で、逃げ出すことにする。

そう、数年前から夢見続けていたスペインにだ。

一度、日本じゃないところに住みたいと思っていただけなので、ぶっちゃけ外国だったらどこでもよかった。アメリカは無理だと思ったが・・・食事的に。

候補は当然、いったことのある国から選ぶことになったが、選択肢はすぐに絞られた。イタリアorスペインだ。この2つが選ばれたことに、なんの疑問もなかった。なぜなら、ラテンの血がおいらには流れているから。血がそう叫ぶのだ。イタリアへ行き!スペインへ行け!と。

その2つがでてきた時点で、実はすでにスペインに決まっていた。両方とも旅はとても楽しめた場所であった。どちらかというと、イタリアの方が楽しかった。いかんせん、歴史がある。スペインは多種多様な文化が入り交じってるところが面白いが、イタリアは深さがある。資料的なこともあるのだろう。

が、同じ期間(1ヶ月〜40日)旅して、その土地で触れた人間の暖かさはスペインの方が上だった。それは「事実」ではなく、おいらのなかでの「真実」である。だから、人によっては逆もあるだろう。

未だに「なんでスペインにいこうと思ったの?」って聞かれると、気分が良いときは必ずバルセロナで触れたあるじいちゃんの話をする。

今書こうと思ったが、おいらの文章で書いたら、イマイチ臨場感が伝わってこないし、説明不足になりそうだから、かかないでおく。でも、そのとき一番スペインっていいな〜って思った。あと、Pamplonaの陽気なジェームス・ディーンと宿屋のオヤジ。

いろいろ旅して回ったが、もっとも地元の人に触れたのがスペインだった。ある意味、一番最初の旅で、旅慣れていなく、また英語もほとんど話せないにもかかわらず・・・。旅地元の人間にとってはうちらなんて一見さんで、そのまま無視してもなんら生活に影響を与えるわけではないが、彼らは本当に良く話しかける。それは今でも一緒。だから、スペインに行くと誰に話しかけられるんだろう・・・とウキウキしてしまう。

話がずれてる〜〜!戻す。

スペインにいくなら金を稼がないといけない。1年じゃ足りないから2年は行きたい。そこからひたすら金を貯めた。今考えると、おそろしいくらいの節約ぶり。実家というのもあったが、周りの友達にエライ世話になった。

ということで、サイトをここでまた一新し、社会人編を作る。主にスペインまでの道を記す。っていっても金稼ぐだけの時期だったから、特にスペインのことは書いてない。あくまでスペインを夢見てる男のはちゃめちゃ日記となった。

長さの方は徐々に長くなっていってるが、それでも今ほどではない。バカっぽさはほとんど変わってない。泣きたくなるくらい。そう考えると、10年以上たって、な〜〜〜んも成長してないってことだ。ちょっとショックだったりもする。

そして、一年半働いてスペインでの生活費2年分の金を貯めた。2年分っていっても、適当に決めた金額だ。「たぶん、これくらいあれば足りるだろ〜」という金額。それで実際3年いたわけだが・・・。途中、予定外の一時帰国とかもあり、出稼ぎして継ぎ足したりはしたが・・・。

2002年〜(スペイン編)
社会人編のサイトも閉鎖した。きちんとした形では閉鎖してなく、実はいまでもサーバーにあるので、検索すれば見つかるのだが、事実上の閉鎖。

実は、事実上でもなんでも閉鎖するつもりはなかったのだが、学校のPISOでの生活だったり、引っ越した先でも、どうやってネットをひいていいのかとか、そいうこともわからなく、日記だけは書いていたが、それをアップすることができないでいた。

実際、最初の一年はエライ忙しくてそれどころではなかった。学校や勉強もそうだが、落ち着いてサイトを作る・・・なんて話ではなかった。まぁ、いうたら遊びまくっていたわけだ。

今でも「語学学校中の日記も読みたいのですが、それはないんですか?」というメールをたまにもらう。上でも書いたが、実はある。あるにはあるのだが、本気モードの日記なため公開できないのだ。最初のころはまとめてアップしようと思って書きためておいたのだが、ネット生活が徐々に遠のいていったせいもあり、途中から本気モードの日記にかわってしまったのだ。

今のブログとかでも、日常を赤裸々に書いている・・・という人はいるが、完全に別人としてやってれば別だが、普通は無理。程度の差こそあるだろうが、ブログも含めた公開日記と、普通の日記では、確実に異なる。まぁ、そんなこというまでもなく、みなわかってると思うが、公開する予定のない日記は、当然のこと恐ろしくリアルだ。

まぁ、そんな日記が一年分ある。当然だが、これは誰もみたことがない。日記らしい日記という意味においては、初めてのリアルな日記だ。

一度、読みたいという人のために、やばい部分だけを削除、編集し公開しようと思い立ったこともあったが、一年分をまとめてみたらやる気が一瞬にして失せた。しかも、長いし・・・。今考えると、おいらの日記が長くなったのはこのときからだ。そうだ!「おいらの日記っていつから長くなったんだろう・・・」って前々から自分でも疑問であったが、そっか〜この一年だったのか〜。新たな発見だ。

2004年〜(スペインひきこもり生活編)
スペイン生活を1年終え一時帰国する。激動の一年で、もう人間交差点な世界であった。で、今のひきこもりを引っ越しをした。ManoloとSantiとの生活がはじまった。

引っ越すと、まずいの一番にネットを引いた。新たな出発であるので、前のサイトを使うのはさすがにためらいがあり、新しくサイトを作ることにした。それが今の「スペインひきこもり生活」だ。技術的なものも多々あったが、持ち運び用のノートでの作業はエライ面倒だった。それまでスペイン前の石積み場では24インチディスプレイ作っていたのに、急に半分以下の10インチまで画面が縮む。もう、作業スペースが少なすぎて、投げ出しそうになったこともなんどかあった。

まぁ、そこは持ち前の手抜き技で乗り越え無事完成。で、記念すべき最初の日記は2004年5月27日(木)だ。

ここに来て、また日記の書き方が変わった。

「自分のために書く」というスタイルに変わっていたのだが、スペイン紹介サイトを作ってしまった以上、そいうわけにもいかない。いろんな人にスペインを・・・いや、バレンシアを知ってもらいたいからだ。

それまで「内輪だけでいいや〜」と説明を省いていた日記が、急に細かい説明付きの日記なる。登場人物がいろいろいるので、わざわざ「登場人物」というページをつくったし、スペインについての単語の説明なんかもいれた。「読者が忘れてるだろうな〜」って思ったら、そのたびに説明していたし、よく使う単語・・・たとえばBocadilloとかTortillaとかも「スペインのサンドイッチ」とか「スペインの卵焼き」とかって何度書いたかわからない。

最初はこっぱずかしくって、日本の友達には教えてなかったのだが、ホームページを初めて作ったときみたいに、「たくさんの人にみてもらいたい・・・」と思うようになり、日本の友達にも教えたし、いろんなサーチエンジンにも登録した。

その甲斐あって雑誌にも載ったし、ZIP-FMにも出演できた。しかも3回も・・・。そのテープは恥ずかしすぎて、未だに聞いてないが。

目標としては「バレンシアといったら『ひきこもり』」といわれるようになることだった。

あれよあれよと日記の形がかわってしまった。

しばらくして、日本ではmixiなるものが流行はじめた。それをおいらは拓也の紹介で知った。「面倒くさいけど、サイトの紹介にはいいよ〜やってみな〜」とメールをもらった。

「サイトの宣伝」という言葉に食いつきすぐさま会員登録。そんでもって、バレンシア中の人間(日本人)を紹介しまくった。紹介するだけして、おいらはすぐにあきたんだけど・・・。「なんかいまさら・・・」って感じで。(※インターネットの前身であるパソ通の時代にやっていたため)

このときのmixiへの登録で、現在、悩みのタネを抱えている。

「ブログ」というのもおいらがスペインにいっている間に突如流行ったため、イマイチ事の起こりを理解していないのだが、mixiもその流行にもれず、mixi内の日記の他にもブログを活用できるという。が、おいらの日記はCGIで作っていたり、RSSがないとか、まぁ〜様々なシステム上の問題により、その日書いた日記がmixiに日々反映されないという問題があった。

じゃ〜支店と称して、ブログを作ろうとなった。本店はこの日記で、そこを書いたら、その文章をコピペするだけでよい・・・と手書きで別の日記帳に書くことを考えたらエライラクチンではないか・・・とそのときは思った。

だけど、今はそのコピペ自体が面倒になってきている。基本的に誤字、脱字は、日記の華だと思っているので、見つけても直すことはないのだが、あまりにひどい間違いのときは直している。それが、3つにも4つにもなってるのだ。日々の日記はまだいいが、やはり管理しないといけないため、徐々に億劫になってきている。

ブログを提供しているところはたくさんあったが、おいらが選んだのは「excite」と「はてな」の2つ。exciteはなんで選んだかよく覚えてないのだが、はてなはそのシステムが面白そうで試してみることにする。

とりあえず2つをほぼ同時に始め、どちらかを気に捨てようと思っていた。mixiへは、トップの構造がシンプルなexciteの方で登録した。

それがちょうど日記を再開して一年後の2005年の4月前後のこと。

・・・っていま気づいたが、もう3年近く、三国志みたいな状態を続けているってことなのか?あほだ・・・おいら・・・。

しかも、今、おいらが何を書きたかったのかわからなくなってきた。


2006年〜(出稼ぎ/石積み編)
約3年間のスペインひきこもり生活を終え、帰国したのが・・・いつだ?2005年の10月か11月。だから、ちょうど帰国して2年になるわけだ。つい最近、またスペインに1ヶ月いってしまったから、全然2年って気がしないが、あの見事なほどの「ひきこもり生活」からは2年だ。もう、おじちゃんやね。おいら。

ここから、おいらが最近ひたすら考えている「漢の死に様」について書きたいところだが、倍以上長くなりそうだからやめておく。

で、おいらは何が書きたかったおか、何を考えているのかというと・・・

・おいらと日記の関係と、その流れと合わせたmasaquitoに対する考察。

・とりあえず、年内にはてなとexciteは閉鎖したい・・・ということ。

・帰国後の日記にイマイチ釈然としていない・・・ということ。

・かといって、どうしていいのかもよくわかってない・・・ということ。

・そろそろ潮時なので、ここらで変化させたい・・・・ということ。

・10周年を祝おうと思って調べたら、なんかもう過ぎてるっぽい・・・ということ。

・最終的には、いつごろからまたスペインにひきこもるか・・・ということ。


ポジティブ思考で、なんとかやってるような気はするが、ふと振り返ると、そろそろというか、早くも臨界点が近づいているような気がしてならない。

そういえば、誰かがいってたっけ・・・

「あんた・・すぐ戻ってくるよ。絶対無理だって。性格的に。」

そんなこといってた人、一人じゃなくって、なんか沢山いたような気がする。

Masaquitoよ、Ferminよ、ヨモツシコメよ・・・頼むから、ホント頼むから・・・もう少し粘ってくれ。マジで。

三歳児のためのスペイン語
2007年10月31日 (水)
cambio:1.変化、変更、変遷 2.小銭、釣り銭 3.取り替え、交換、交替

modificación:1.変更、修正、変形 2.(要求・刑罰などを)緩和する、加減する

alteración:1.変更、改変、改造 2.(心の)動揺、怒り、いらだち 2.動乱、動揺、乱れ 4.論争、論議

mutación :1.変化、変更、転換 2.突然変異(体) 3.(演)場面の転換 4.気象の変化

variacion:1.変化、変動 2.変奏曲 3.変異 4.偏差

transformación:1.変化、変形、変質 2.加工 3.(生)変態;(物)変換、変化

vicisitud:移り変わり、変遷、栄枯盛衰、浮沈

transición:過渡期、変遷期、移行期 2.移行、移動、変化


「変化」で調べたらエライでてきた・・・さすがに疲れた。

今日は、昨夜の続きを書こうと思っていたのだが、今日の調練は張り切りすぎたため、すでに思考力ゼロな状態。過去を遡ったところで、まとめられそうもないので、延期する。が、これはきちんと書く。いつもそういって書かないが、本当に書く。明日、調練は少し軽めにして書く。絶対書く。

で、変化・・・調べてて、すげ〜ショッキングな事実に気づいてしまったが、それはこのあと書くとして・・・これらの中で使っていた単語なんて、4つくらい。上はすべて名詞だが、使っていたのは動詞の方。cambio(動詞はcambiar)とmodificación(動詞はmodificarse)とvariación(variar)とtransformación(transformar)の4つ。これはかなりギリギリの4つで、実際のところちゃんと使っていたのはcambiarだけといってもいい。「何かが変わる」=「cambiar」で済ませていた。街も時代も人格も顔も体もぜ〜〜〜んぶ、これ1単語で済ませていたといってもいい。

で、気づいてしまったのだが・・・この単語調べやりはじめて、なんかえらそうに「これはつかわん」とか「これは使う」とか「これは聞いた」とか書いていたが、思い切りおいらの勘違いであったんではないかと。

スペインにいるときのおいらは、産まれたばかりの赤子が3歳児になった程度。日本語でもととなる言葉を知っているから、物の名称からすべて一から覚えるわけではないが、赤子であることには変わらない。

たとえ、「スペイン人がそういってた」といっても、それはそのスペイン人が3歳児のおいらにいっているだけで、普段使ってるかどうかということまでわからないということだ。3歳児には「今日は思考力がない」ではなく「今日は考えられない」というだろう。前者はわからんが、後者なら三歳児でもわかるのだ。

で、いろいろ過去を思い出すと、たしかにSantiとManoloが本気モードで会話すると、スピードから会話の内容までチンプンカンプンであった。それは帰る直前までもそうだった。「○○の話をしてるな〜」という程度はわかるが、その○○について、何を語っているか細かくはわからない。そのあと、ManoloとSantiが申し訳なさそうに、おいらにわかりやすく説明してくれるのだが・・・まさにそれが「三歳児のためのスペイン語」なのだ!!

それはそれでとっくの昔からわかっていたことだが、この日記の頭で「使う」「使わん」を断定することなどおいらにはできないことなのだ。

あ〜やっちまった〜・・・って感じ。

そんなしょんぼりしているおいらを少し励ましてくれるのが「映画」。映画はその映画ないの言語を話す人を前提に作ってると思われるので(そうでないものもありそうだが・・・)、その映画でよく使われてる表現だったら、まぁ〜いってもいいかな〜と。

まぁ、なんにせよ、へんにウンチクたれないで、おとなしく経験談だけを書こう。

ショックというより、穴があったら入りたいさ・・・でも、せっかく書いたものを消すのも嫌だし・・・まぁ、これはこれで「三十路のいたり」ってことにしよう。そんな言葉があるならばだが・・・。


さて、変化。調練による変化。この場合、いったいどの変化が一番適当なのだろうか?やっぱりtransformaciónだろうか?まぁ、そんな感じだろうな。

どうでもいいが、vicisitudの「栄枯盛衰」という意味にちょっと興奮した。いつか、その意味で、ここぞとばかりに使ってみたい。BarとかでVinoのグラス傾けながら、Barのオヤジにむかって、「あ〜〜!なんかvicisitudだね〜。」って突然。

いかん、妄想はいった。

続ける。

まず、見た目的な変化は当然ない。世の中そんなに甘くない。というか、まだ、入った日にはかってから一度もはかってないので、どうなってるのかがわからない。これは3ヶ月か、1ヶ月後にとっておくのだ。

終わらなさそうだから、箇条書きで書く。

1.腹が減る。やたらと腹が減る。ひもじいくらい。
これはちょっとびっくり。朝とか普通にハラヘリンコだ。前は「目を覚ますため」、「体内を動かすため」にたべていた朝食だが、今は普通に腹が減ってるので食べる。一番腹減るのが、今だ。今。帰ってきて30分もすると、「腹減った〜!」になる。なんか、良い兆候っぽい感じがしなくもないが、なんかつらい。もともと腹減るってことがあまりないから、どう対応していいかわからないのだ。

2.目が冴える
初日は興奮してたから・・・と思ったが、明らかに目が冴える。体は疲れてるのにだ。調練に行った日は必ずそうなるので、もうもうこれは副作用としかいいようがない。で、これも今だ。今が一番目が冴えている。思考能力がないだけで・・・。2時くらいになっても眠くならないが、体は疲れてるはずなので、諦めて布団にはいっている。

3.あっさり起きれる
寝るのが遅くなったのに、これだ。完全に憶測だが、やはり疲れてるから眠りが深いのではないかと・・・。寝ている間のことなんてわからないが・・・。おかげで朝、慌てず風呂に入ることができる。

4.体が筋肉痛
これは時間の問題なんだろうけど、最近は毎日腿とかはってる感じだ。土日月と休むともとに戻るのだが、平日は基本的に筋肉痛。ただ、それほど重症ではない。どちらかというと心地よい。体が叫んでいるというよりは、喘ぎ声を出しているという感じか。悪くはない。

5.甘い物を欲する
これが一番びっくりした。なんと、自分でコンビニにいって「チョコレート」を買ってしまった。

ママンは食後、必ずといっていいほど「あ〜〜〜!甘い物食べたい!!」と叫ぶ。「またかいっ!」「あんたも食べたくない?」「だ〜〜か〜〜ら〜〜〜おいらは甘いもん食べれないっていってるだろ!」。そんなやりとりがこれまで数え切れないくらい交わされていたのだが・・・まさか、おいらがそれになるとは・・・。

チョコレートなんぞ、みんなで旅行に行くときの買い出しの時か、調練以前も2年に一回くらいは「チョコレート食べたい」と思うこともあったので、買ったことが全くないわけではないのだが、買ってきても1つ、2つ食べるだけで満足してしまう。LotteのALMONDOチョコレートを一箱食べるのに2週間以上かかっていたのだが、一昨日購入した一箱は3日でなくなった。もしかして、「絶対、おまえ人生の半分損してるよ!」っていわれなくなるのか?ちなみに、今も1つ、2つなら食べたいと思う。

甘い物といってもチョコレートがギリギリで、ビターなやつかアーモンドがはいってないとダメだ。バーバーパパのシュークリームみたいのは絶対無理だと思う。

6.様々な欲望がなくなる
人間の三大欲はとりあえず無くなる。「腹が減った」と書いておきながら、矛盾みたいに思えるが、その「腹減った」は事実ということだけであって、決して食欲に結びついているわけではないのだ。ただ単に腹が減ってひもじいのだ。それが食欲・・・ってんだったらしょうがないけど、食欲って腹が減っていても、いなくてもあるもんな気がする。一番顕著なのが性欲だろう。もう全くなし。微塵もなし。聖人君主になったような気分だ。明日からシッダルタと呼んでくれてもかまわないくらいだ。

ついでに、これは完全になくなると困るのだが・・・旅欲求もかなりなくなっている。だいたい1ヶ月。ひどいと2週間おきくらいにおそわれるのが、この欲望なのだが・・・今のところ、まったく考えてない。おそらく2ヶ月後の今頃には、とある権利と共に、爆発しているとはおもうが、時期的にちょうど良いので、危機感を抱きながらも、甘んじて受け入れている。

でもって、同じくなくなると困るのだが、酒欲求。呑みたいには呑みたいが、それは誰かと話をしたいんであって、「酒に酔いたい、呑まれたい」的なものがなくなっている。今のところだけど・・・。金曜日に帰ってきたら、調練にいけるではないか・・・と思ってしまうほどだ。ただ、誘われれば絶対いくけど。会話したいし・・・。

7.一人遊びができる子になりかけてる
この前の旅につづいて、これもおいらの成長のための試練なのか・・・あきらかにッ八百万の神々が「おまえ、一人で生きていく準備しろ」といってるとしか思えないようなシチュエーションだ。でもって、困ったことに、なんか大丈夫だったりする。はては「結局、人間は一人さ・・・」というところまで到達しかねない。それはそれでおいらは困るので、これはなんとかしたい。だもんで、今日は初日にヒムナシオのオトナのおもちゃについていろいろ説明してくれた若者と休憩がてら15分くらいお話をした。

ラグビーをやってるらしい。大学は明治らしい。理工学部らしい。ルームランナーはあまり好きじゃないらしい。バイクの免許をとりにかよっているが、ロッカーの鍵をなくしてしまい、その中にヘルメットがはいっていて、うんたらかんたらで、かれこれ1ヶ月ほど足が遠のいてしまってるらしい。大学はいってバイトするとしたら、ヒムナシオと決めていたらしい。

もう2回くらいお話したら、綽名をつけなくては・・・なんか、番長(スナ)っぽいから・・・そんな感じの綽名にしたいが・・・。


とまぁ、なんか、いろいろおかしくなってきている。「自堕落」=「おいら」みたいなのがあったから、なんとなく寂しいといえば寂しい。悪いことではないはずなのだが・・・。これに「素直になった」とか入ったら、そのときは本気で考えようと思う。

人に歴史あり(前編)
2007年10月30日 (火)
diario/a;(形) 毎日の、日々の、日常の (名) 1.新聞 2.日記、日誌、日記帳、メモ用手帳 3.ニュース、報道
de diario:(副)普段着の、日常の

なんかわざわざ各単語でも無いけど、今日は特にネタらしいネタもないので、おいらと日記について書き残しておく。昨日、たまたまスペインの日記帳を見つけたもんで・・・。

a ver・・・。

1992年〜(高校編)
16歳の誕生日にシステム手帳をもらった。黒のそこそこ重厚なヤツ。高校生のプレゼントだから5000円もしないもんだと思うが、そんなもんそれまで持ったことがないのでちょっと興奮した。なんかオトナ!って感じで。

至ってシンプルな手帳で、最初の数ページは格子状(?)に線が引かれた普通のカレンダー。スケジュール用のシールも一緒にもらったので、頑張ってそこに貼ってはいたが、高校生なんぞ予定らしい予定なんぞない。せいぜい「テスト」とか「映画」とか「○○の誕生日」とか・・・もう隙間空きまくり。

せっかくもらったし、使わないのもなんなので、未来のことを書き込むスケジュールではなく、その日にあったことをその小さい隙間に埋め込んでいった。「公園行った」とか「買い物した」とか「○○にあった」とか。

おかげで、あっという間にカレンダーは真っ黒になった。そして、書き始めたら縦横2cmあるかないかのスペースじゃ足りなくなってきた。当然だ。人間いきてりゃ、それなりにいろいろある。

思い立ったようにシステム手帳の滅多に開かないページを開く。縦2cm×横6cmくらいの、1ページが一週間分のページ。その日から、使い分けがはじまった。カレンダーの方にはメインというか、重要な出来事だけを書き、「一週間ページ」には、少し文章で3行くらいで書き込むようになる。

しかし、今度もまた不満がでてくる。「このスペースでもたらん!」。文字は自然と小さくなっていき、米粒にくらいのサイズでぎっしり・・・もう蟻が這ってるみたいな感じで書き込むようになった。

この時点で日記帳に書くようになってもよさそうだが、「時と場所を選ばない」、「いつでも持ち歩いている」、「スペースは確かになりないが、日記帳ほどのスペースはおそらくいらない」ということもあり、日記帳には移らなかった。

それが高校3年間丸々続いた。大学受験が終わるまで。

そのシステム手帳はまだ手元にあり、今も写真にとって載せようとも思ったが、かなり奥深くに封印されているパンドラの箱の中なのでやめておく。空けたら、もう、部屋の中がエライことになりそうだから。散らかるというわけではなく、なんか108くらいの煩悩が飛び出してきて、部屋が鬱蒼としそうだから。

1995年〜(浪人編)
浪人を始めたばかりのころは、そのミニ日記は続いていたのだが、生活が単調になり、また書くこともなくなり、でもって、マジで勉強し始めたため、3ヶ月も経つとシステム手帳を開かなくなった。9ヶ月ほどだろうか・・・空位時代だ。

1996年〜(学生編)
大学になると旅にはまる。大いにはまる。金はすべて旅につぎこんだ。つぎこみまくった。夏と春の二回はかならず異国にいった。夏はさらに国内も回った。海外は一ヶ月が目安。国内は10日〜2週間が目安。

最初にいったのはエジプトとギリシャだった。ただ、これは10日くらいと短い。まぁ、いろいろあって。まだ日記ははじまってない。メモ程度で。

大学一年目の春休みにいったのがスペインだった。1997年3月2日から40日間。フィンエアだったから、ヘルシンキ(フィンランド)もオマケについてきた。スーパーで水のペットボトルを落として、スーパーでエライ剣幕で怒られた。その辺のオヤジに。クリーニング代渡したら、笑顔で帰って行ったが・・・いまでもこのエピソードは思い出す。ホント何いってるかわからなかったから・・・。英語を話せるスーパーの店員さんが、ものすごい同情してくれた。というか、彼が通訳してくれなかったら、本当になにいってるかわからなかった。

うぬっ・・・話がとんだ・・・けど、そのネタも日記に書いてある。4月4日(金) 雪・・・だそうだ。

ちなみに、この旅でスペインにはまり、現在に至っていることは言うまでもない。

というわけで、日記再開。高校〜浪人までのは日記とは呼べないので、おいらの日記は1997年3月2日 21:29からはじまったことになる。もう10年たつのか・・・うぬ〜。

よくよく考えたら旅のあとは書いてないので、はじまったようではじまってないや。旅の時だけ書く「旅行記」だな。

スペインのあとはフランスにいった。これも一ヶ月ほど。この時も日記を書いた。スペイン同様毎日だ。

で、ここで転機が来るんだ。バイトの関係でMac(マッキントッシュ)を購入(パソコン自体はもっていた。こうみえて結構長い。中学2年生からだから・・・)。そのMacにバンドル(付属)されていたクラリス・ホームページというのがあり、なんとなくいじってたらホームページが作りたくなった。当然、ネタは旅行記だ。

ヘボいなりに、がんばってホームページを完成させ、旅行記をアップし始めた。ただ、思ったよりも書き起こすのが面倒で、日記帳では当然書き終わっているのだが、ホームページ上ではほっぽりだしたまんまで終わっていた。その間も旅は続いていたので、書いても書いてもおっつかなく、もう完全になげやり状態。

今では手書きよりも、打つ方が楽なのだが、当時は文字を書く方が楽だったため、そちらはきちんと書き終えてたりする。文字はおいら以外判読できないやつもあるのだが・・・。

最終的に、現在、紙媒体の旅行記として残っているのは、スペイン、フランス、イタリア、アメリカ、パキスタン、カンボジア、オーストラリア(これは微妙)あたりになる・・・っぽい。まだあったような気もしなくもない。

1999年(学生編2)
上にも書いたとおり、ホームページ上での旅行記アップがかなり滞りがちだったたのと、なんか更新しないと・・・という熱き思いがあり、普段の日記を書き始める。これは紙上ではなく、ホームページ上で。

最初に書いたのが1999年5月13日(木)。なぜか、土方歳三と榎本武揚について書いてる・・・。ママンがテレホンカードをくれたからだ。

当時の日記の特徴としては・・・

今と違って圧倒的に短い。20行〜30行くらい。たまに、勢いがあってえらい長いのもあるが、今ほどひどくない。淡泊な日記だ。

「誰かに読んでもらうこと」を前提に、また「読んでもらいたくて」書いている。もうホームページにはまりまくっていた時代だったから。あらぽんが冷ややかな口調で「まぁ〜よく頑張るね〜」ってバーミヤンかなんかでおいらにそういったことを今でも覚えている。毎日なんかネタや企画を考えていた気がする。

また、今よりもしっかり毎日書いている。たまに抜けるときがあるが、今ほどひどくない。システム的には今の方が書くのは断然楽なのに・・・信じられないエネルギーだ。当時は、ブログとか、このCGIの日記みたいに、日記を書くようにレイアウトされていないから、テンプレートを作ったとしても、日付から、画像添付から、時間から、なにからなにまで全部を作らないといけない。だから、日付や曜日を間違えることもあった。一番面倒なのが、その日記へのリンクをはらなくてはいけないことだった。データベースを自分で手作業でつくらないといけないのだ。過去のバックナンバーなんかも、自動でなんかやってくれない。自分で、3月って書いて、そこにファイル名をバックナンバー用に変えたものをリンクさせて・・・ってやる。読みやすさとか、日記の探しやすさ(検索機能など)とかは最悪だが、手作り感一杯だった気がする。今見ると恥ずかしいけど、あまりかわってないといえばかわってない。

しばらくして、旅行記は封鎖した。日記を公開してることに倒し、気負いとか恥ずかしさとか、お客集めへの疲れとか、もっと個人的などうでもいいことを書き残したいとか・・・そういう風に思ったからだ。端的にいえば、他人のために書きたくなくなった。自分のために書きたくなった。ってことだな。

そこまでいくのに2年くらいかかった。2001年3月6日のこと。

旅行記サイトはなくなったが、日記は書き続けた。不特定多数の他人のためには書きたくなくなったといっても、ホームページとして書いている以上、ある程度のモチベーションは必要だった。そんな簡単に割り切れない。

ということで、線引きすることにした。友人限定サイトの登場だ。宣伝もなにもしない。が、ネット上においている以上は、検索されて見つかることもある。だけど、それはOK。見つかったとしても、お構いなしで内輪ネタで書く。KとかNとかイニシャルではなく、実名、または普段使ってるあだ名で書くようになったのも、このへんから。

気分はかなり楽になった。そして、日記を書くことが、本来の意味の楽しさを持ち始めた。


って、長くなりそうだから、今日は予定を変更して前編にして、後編は明日書く。もうほとんど書くことない気もするが・・・。

追記
調練についても書きたいことがあったのだが、次にする。

なんとかならんもんかね・・・いろいろ
2007年10月29日 (月)
ver las cosas con sabiduría(con filosofía・filosóficamente):達観する

う〜ん・・・う〜ん・・・なんか違う。望んでいた単語じゃない。意味はそうだけど、なんだかな〜。sabiduríaは学問、知識、賢明さ、知恵だとさ。filosofíaは哲学ってくらいしかしらんかったけど、2に人生観、世界観、原理、3に悟り、達観、あきらめってのがあった。まぁ、いいのか?

でも、なんか諦めににた境地が欲しいのだが。放り投げるというか・・・。そうなると、abandonarか。でも、達観として使ってこなかったし・・・。チャットなんかで話してて、そろそろ終わるよ・・・って時にはte abandonoとかTengo que abandonartebとか使う。ドイツ人とのチャットで最初に覚えたのだが、「本当にあってるのか?」と疑っていたら、スペイン人も使ったからあってるのだろう。「捨てる」とか「見捨てる」の意味で覚えていたから、最初言われたとき「え?おいら何か悪いことした!?」と思ったことがある。相手がCoraだっただけに、マジで焦った。

ぬっ。resignarってのがあるや。

resignar:(動) 1.譲り渡す、任せる、ゆだねる 2.(仕事、職などを)やめる、辞任する、辞職する 3.(権利、希望などを)捨てる、放棄する、断念する。

resginarse:(動)(再) (〜に[a 、con])身を任せる、あきらめて(・・・[a 不定詞])する

例文でいいのがあった。

Me hecho a la idea de que el mundo es así
(世の中とはこんなものと私は諦めるようになった)

まぁ、そこまで大げさではないけどね。

で、なんとかならんかね・・・この週末日記をまとめて書く週間。書かないより、書けているからマシだけど、日記3日分とか4日分とか書くと、何もできなくなるんだよな〜。スペイン語調べ始めるようになってなおさら・・・。

これまで「有言実行」と、日記に書くことによって半分強制的にしてやろうと思ったが、ダメだ・・・おいら・・・意志弱し。一つ一つ、中途半端に「書こう」としてるからダメなんだろうな。こだわるならこだわって日記じゃなくって、なんかあったときに書き残すエッセイみたいにすればいいんだけど、たぶんそれやると、全く書かなくなりそうなんだよね。だから、日記という体裁にしてるけど、毎日、頭の中を走り回る「書きたいこと」を、きちんとまとめて書こうとすると、とてもじゃないけど、毎日は無理。

働いてないときは、日記のこと考えて、文章の構成考えて(ってできないときもあるけど)やっていたような気がするけど、帰国してから、どうにもこうにも中途半端だ。今の日記はあとから読んでも、なんともつまらなさそうだ。10年くらい経てば、それはそれで、なんか思うことあるだろうけど・・・。

なんとかならんもんかね〜。この冗長で、para basuraな感じ。まぁ、煩悶学生みたいでいいか。一日を振り返ることにこそ意義があるということにしておこう。うん。そうしよう。

けど、やっぱなんかつらいんだよね〜。この焦燥感はなんなんだろうね。


石積みの方もなんかやりづらい。なんか「見切り発進」が多い気がする。サイト作りなんて、最初の打ち合わせが肝心なのに、そこ端折るから、無駄な作業が増える。石はあまりないから、別に時間的な問題はないんだけど、「最初にいってくれてれば二度手間にならずに済むのに・・・」と思うようなことが、ここ最近とても多い。

とはいえ、リニューアルが一応一段落して、これまで接点がなかった全国の支店とのやりとりも増えてきて、まだお互い要領を得ていないというのもあるから、いたしかたないとも思える。だから、お互いの石を理解するためにも、コミュニケーションが必要だと思うのだが、おいらの石は指令書という紙一枚(Fax)でおりてくるため、連絡とるにもとりようがない。だから、向こうも、形式を理解しないまま、送り続けてくる。

ローマの方の窓口として、ハニャ子とおじゃる丸がいる。彼らとはだいぶ阿吽の呼吸的なものができつつあり、石積みはやりやすいが、全国の支店までの作業を完全に網羅し理解しているわけではないので、指令書について、おいらが電話で尋ねて、その質問事項をハニャ子が、その指令書を送ってきた人にきいて、それがまたおいらのところに戻ってきて・・・という形になる。

他にも、ハニャ子やおじゃる丸の上司からの指令が下りてくることもあるが、彼らは基本わかってないため、また自分の石だとは思ってないため、結構おざなりな形で石はふってくる。それをハニャ子たちが「うちらの形」にして持ってくるのだが、それが、これまでの形にはどうあがいても変えれないことがある。WEBなんて、臨機応変に対応しないといけない作業だけど、それが得てして、それまでの打ち合わせで「そういう形になることはない!」、または「そういうことはしない!」と取り決めてあったりするものだったりするから手に負えない。

「え??それはないということだったから、この形になったのに・・・」

と不満というか、嫌みを含んだ確認をすると

「そうなのよ〜!でも、向こう(上司たち)はそんなこといった覚えはない・・・とかなんとか・・・ホント頭くるわよね!マジでけっぱくってやろうかと思った〜!」
(※ハニャ子は、これまでのつきあいの中で「切れやすい」ということを確認してる)

「まぁ、そういうことならいたしかたないけど・・・つい最近、作った○○あたりのページ、全部作り直しですよ・・・だから、時間かかっちゃいますがいいですか?」

「平気じゃないかな〜?」

「じゃないかな〜って・・・今、別件もあるので、すぐにはできないんですけど」

「大丈夫だよ」

「だいたい目安としては?」

「11月22日くらいまでには」

「え?そんなに???いや、そこまでは・・・時間かかるっていっても3日くらいでできますよ」

「じゃ〜全然問題ないじゃ〜〜〜ん!」
(※ハニャ子は実際こういう話し方をする。ちょっと男要素もあり)

てな具合だ。

これがもしかしたら普通なのかもしれないが、おいら的にはあまり要領がいいとは思えない。この辺も、時間が解決してくれる問題なんだろうけどね。まだ4ヶ月たったばかりだし。

木曜の日記で中6日とかいたが、間違った。中5日だった。で、その中5日・・・結構寂しいものがある。月曜日が空いていないというのははやり痛いかもしれない。金曜日休みならいいのに・・・って、完全に自分の都合で言ってるけどさ。

5日休んだだけで、ものすご〜〜〜く、体がなまった気がするし、重くなった気もする。まだ調練も7日間しかこなしてないから当然なんだけど。

だが、おかげで体の痛みは綺麗さっぱりなくなった。土曜日あたりには完全に。明日は筋肉フェチ子メニューをたっぷりできそうだ。

今日は他に書きたいことがあったが、まとまらないのでこの辺にしておく。



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