おいらの おいらによる おいらのための
スペインひきこもり日記!!
改め 日本出稼ぎ日記

日記.用語集 日記一覧 画像タイプ カレンダータイプ 画像カレンダータイプ 日記検索

強すぎる昆布だし
2004年07月20日 (火)
っくりすることが3つあった。

亀太郎がちょっと見ない間に巨大になっていて、獰猛さが増していた。

買ってきたときはスギョン(仮)と同じ大きさだで、手に載せてみないとどっちがどっちだかわからなかったのだが、今は上から見ただけでどっちが亀太郎かすぐにわかるようになった。

亀太郎はスギョンのぶんの餌までうばってガツガツ食べるからでかくなったのは考えるまでもなくわかるのだが、甲羅まで一緒にでかくなることに、当たり前のことなのに

っくりした。


結婚式で友人代表のスピーチ(?)を突然頼まれてっくりした。

以前も「馴れ初めスピーチ」を頼まれたことがあったが、今回は何を話して良いのかさっぱりわからず1人机に座ってうなる。

冠婚葬祭系は疎いので、たまたまMSNにはいってきた友人女性Nに訪ねる。

「友人代表のスピーチって何話せばいいの?」
「そうだねぇ・・一般的には、友人との出会いから始まって、心に残るエピソードとか語ったりするよね。」
「あ〜、なるほど!なるほど!それなら簡単だ!くさるほどエピソードあるから」
「じゃ、話すこと困らないね」
「いや、逆にありすぎて困る」

「あとさ、その友達の名前呼ぶときとかさ・・・最初に前置きつけていえば、呼び捨てしていいもん?」
「呼び捨てで良いと思うよ。その方が友達らしいし。
確かこの間出た、結婚パーティーでも、女の子が挨拶したんだけど、呼び捨てだったよ」
「なるほど、なるほど」

「何分くらい?10分?30分?2時間?」
「二時間やってみてください(怒)」
「できちゃうんですが・・・おいら」
「この前行ったのは、結婚披露パーティで、ごく簡単なものだったから、5分位だったけど、正式の披露宴だったら、10分〜15分位なのかな。」
「なるほど、なるほど」

情報収集完了。何ネタ話そうか考え中、考え中、考え中。


母親が9月くらいにスペインに遊びにくることになった。去年の時点で何度も誘っていたが、ここにきて突然なのでっくりした。

しかし、仕事バカの父親はやっぱり来ないらしい。残念無念。もう一度工場を燃やせばくるんだろうか?(笑)地元民が集まるBarについれていって同化させたかたんだけどな〜。あの顔なら、なんの違和感もないだろう。カルタとかドミノやっちゃったりして・・・昼真っからCarajillo。美味いJamonとかも食べさせたかった・・・。cafe del duendeにもつれていきたかった・・・。旅慣れしている母親だと、ガイドとして、イマイチ面白みにかける。


昼頃一度帰ってきたManoloに

「正樹!もし時間があったら素麺のつゆを作ってくれ!今日の晩飯は素麺を食べるから・・・」

と頼まれる。

「素麺のつゆ」なんて、そのまま同名の物をスーパーで買ってくるもんとしか思ってなかったので、突然頼まれてっくり。

とはいえ、ここで「作れない!」というのも日本人として、侍として悔しいので、「あいよ!」と二つ返事で答える。

でもって、とりあえず作ってみることに。

水・・・醤油・・・酒・・・味醂・・・昆布・・・・鰹節・・・あっ、切れてるんだ・・・まぁ、鰹だしでごまかそう。

みるみるうちに貴重な日本調味料が減っていく。

あ〜調理酒が〜!
あ〜味醂が〜!
あ〜醤油が〜!

鍋にぶち込み沸騰するまで煮立てる火を止める。

味を見る。

・・・・・こ、昆布の味しかせん!!!

なぜだ!中国産の昆布だからか?それとも昆布入れすぎ?昆布あなどりすぎ?

映画にいくので遊びにきていたマリちゃんにも味見。

「あっ、昆布や」

そのまんまかい!

これが日本であったら「失敗、失敗」と流しに捨てて、もう一度チャレンジするところだが、貴重な調味料を無駄にはできないので、なんとか味を調えて「素麺つゆ」らしくするが・・・どうしても「昆布の味」が強すぎる。薄とか濃いとかの問題じゃなくって、何故かほんのり「苦い」

苦いんだったら砂糖だ〜と砂糖を大量に投入。味醂が入ってるからまぁ同じようなもんだろう・・・ということで。

なんとか体裁が・・・いや昆布味を薄めることはできたが、相変わらず味を支配してるのは昆布。

これ以上いじくって、得体のしれない液体になるのもこまったので、Manoloにお詫びの置き手紙を残す。

Manoloへ

つゆ、作ったんだけど・・・・あまり美味くできなかった。ごめん。おいしくない・・・っていうかまずいです。これは素麺つゆじゃないです。
なんでかおいらもわからない。中国産昆布のせいだと思うんだけど・・・(※昆布のせいにして逃げる)。
もし食べれたら使ってくれていいけど、無理だったらそのまま放っておいて。おいらが処理するから。

正樹


置き手紙を書き、8時からの映画に行く。

今、うちの近くの映画館で映画祭みたいのをやっている。なんでも25周年らしいが、なにが25周年だかはわからない。ただ、一本2.4euros(300円くらい?)でみれるし、スウェーデンやらモロッコやらノルウェーやらイスラエルやらチュニスやらシリアやらスロヴァキアやらチリやらボリビアやらと、日本で滅多にみるチャンスのない国の映画がみられる。日本や韓国の映画も2本ずつくらいある。

こっちの映画館は広いくせに人がほとんどいなくて貸し切り状態で気持ちが良い。しかも安い。ポップコーンもMedio(Mサイズ)で、おそらく日本のLLくらいの大きさがある。しょっぱすぎたりすることがあるのが難だが。

お約束のコーラとポップコーンを買って館内に入る。

今回見に来たのは「HAZAN」という日本の映画。実話を元にした映画ということだ。HAZANは「波山」とかき、陶芸家の名前。時代は明治後期あたりだ。

スペイン語の勉強も兼ねて・・・とこの映画を選んだのだが、英語字幕は普通にスクリーン上にあるのだが、スペイン語字幕の方はさらにその下の特別な電光装置に表示されるという形で、下すぎてとてもじゃないけど見てられなかった。

結局映画だけ見た感じ。


映画のほうは・・・・う〜ん・・・イマイチ。日本映画にありがちな「いわずもがな」系で、外国人に理解できるかどうかは謎。奥さんの台詞は多いが、旦那の波山の台詞なんてほとんどない。「すまん」しかいってなかったような・・・。タイトルがアルファベットで書かれていることと、映画の中でも以上に日本ぽいシーンや小道具などがでてくることからも、最初から外国向けに作られた映画なのかもしれない。それを意識しすぎたせいか、日本人のうちらには少々やりすぎの様な気がした。

内容は美味しんぼの海原雄山とその妻の名が売れるまでの苦労話といった感じ。ある日素人の波山が仕事を辞めて陶芸家になるといって、奥さん、子供達を道連れに金沢から東京にやってきて、うんたらかんたら・・・という話。米も買えず、外には借金取り・・・・。

よくある話だ。

点数にして、1.9点(5点満点)。


1ヶ月ぶりくらいにTomokitoとJasonにあう。いつものbodega、「Labrador」。まだ完全復活したわけじゃないので、Vinoは控えめに3人でBottela2本といったところ。久しぶりの出会いに話に花が咲くが、Jasonは当然日本語は話せないので基本的にスペイン語になる。隣に座っていた客がアジア人3人がスペイン語で話しているのを聞いて目を丸くしていた。

閉店間際。いつものように突然人に話しかけられる。

「どこからきたの?」
「日本だよ。で、彼はフランス」
「私の名前はMateo」
「あ、イタリア人だね」
「そうそう」

おいらはイタリア人が話すスペイン語のイントネーションは嫌いではない。絶対にイタリアが抜けないところがいい。アクセントが最後の方で必ず一度上がるのだ。すべて「ボンジョ〜〜ルノ〜!」の雰囲気になるといってもいいくらいだ。

「どこの都市?」
「横浜」
「横浜!!知ってるよ!いったことないけど」
「え?ほんと?」
「君は?」
「大阪」
「あ〜大阪〜!知ってるよ!」
「まじで〜??」(イタリア人だから調子を合わせてると思って疑う)
「富田林でしょ・・・」

ぐふっ!

やられた。なんてマニアックな地名をあげるんだ、こいつは!

話を聞くと、小さいころに日本人の幼なじみがいたらしく、日本のことを結構しっているらしい。あと日本好きの外国人の例にもれず「漫画」が少し好きらしかった。日本にもいったことがあるらしく、東京、横浜、奈良、京都あたりをしっていた。

「一つ質問があるんだ・・・」
「なに?」
「なぜ、京都には・・・ほら・・・動物・・・なんだっけ・・・」
「鹿?」(角の物まねをしてみる)
「そうそう!その鹿が道ばたにあんなにいるんだ?」
「それは京都じゃなくって、奈良でしょ?」
「あ〜〜」(あちゃ〜というポーズのイタリア人(笑))
「奈良だ!奈良!そうだった!あれはすごい面白かったよ」

その後Tomokitoは彼と、その彼女はおいらと話す形に。しばらく話をして、Jasonをみると・・・・

すねていた(笑)

「なんで、フランスのことは何も聞いてくれないんだ!」
「・・・・イタリアとフランス近いし・・・ほら。フランスのことはいろいろ知ってるからさ〜」
「そうは思えないな〜。彼らはきっとフランスのことを何も知らない」
「今アジアは流行ってるしさ〜フランスよりは全然遠い国だからさ〜」
「いつもTomokitoといるとそうなんだ。話しかけられるはTomokitoで、俺に対しては完全無視。」
「・・・かわいそうに・・・・」

おいらも思うが、Tomokitoは人からさくっと話しかけられる隙というかカリスマが妙にある。彼女と一緒にどこかいくと、大抵オヤジとかに話しかけられるし、彼女1人でいっても大量のオヤジに話しかけられる。前はタクシーの運転手に気に入られてたし。あのニコニコ笑顔が人に好感を与えるのだろうか?

イタリア人と別れたあと、今度はLabradorの店員とおしゃべり。閉店間際のため客もうちらしかいなく、のんびりムード。

店員の1人「Jaime」(ハイメ)に漢字の入れ墨をいれたいから、名前を漢字で書いてくれと頼まれTomokitoと2人考える。

「巴威芽」
「葉伊女」

あたり。

どれを組み合わせてもOKだといったら、「葉威芽」を選んだようだ。最近は漢字で名前を書くときは、意味ではなく、見た目重視にしている。もうこれこそ「漢字!」っていうものを選ぶ。つまり画数が多い漢字。そうすると、彼らは目を丸くするし、喜ぶ。意味を聞かれたらすごい困るのだが・・・。

他にもteruel(Valenciaから北西にちょっといったところにある人口3万人くらいの小さな街)出身の3人組(Jaimeもそこ出身)がteruel自慢を始める。

「何がTipicoなの?」(何が有名なの?)と訪ねると、みな顔を合わせ苦笑い。
「Vino?Jamon?」
「おう!両方とも有名だぞ!特にJamonはどこのやつよりも美味い!」

スペイン人は基本的に愛郷心が強いので、大抵この台詞はいってくる。「この街のVinoはスペインで一番だ!」、「この街のQueso(チーズ)はスペインで一番だ!」などなど。


「もう飲むものがない・・・」とぼそっとつぶやいたら、Labradorの店長がいっぱいおごってくれた。しかも、瓶の中につけてあって、くらげみたいにぷかぷかういている「オリーブとピクルス」を指さして「なにこれ?」とTomokitoがいうと、それも1人1つずつくれた。

もらったVinoとオリーブで最後の一杯をやりLabradorを後にした。

LabradorのあとElacesinoにいってCervezaを一杯飲み家に帰ってきた。たぶん3時すぎたくらいのこと。


追記
館内でHAZANをみにきている外国人を見てマリちゃんが一言
「この人達、全員日本に興味があるのかな?」
「・・・・あんた・・・インド料理屋にいる人間が全員インドに興味があるんかい!」
「・・・・」
「うちらみたいもさっきいってたみたいに、みたこともない国の映画をみたいという理由できてるかもしれないやん」
「そっか・・・」
彼女・・・素でぼけるから面白い。

スイカ買ってきたのに・・・・(;´Д⊂
2004年07月19日 (月)
grp0720073717.jpg 320×240 15K
日記をさぼったせいで一日で3日分の日記を書く羽目になった。お腹の調子が悪いとこんなところにまで影響がでるのか・・・。

前よりも大分よくなってきたお腹だが、万に備えて家で休養する。旅行から帰ってきたのが週末近くということもあって、ようやく落ち着いてまったりできる一日となった気がする。

食料品で足りない物を書き出したり、逃げる春を追いかけたり、洗濯物を取り込んだり、リンゴジュース飲んだり、日記書いたり、たまっていたメールを一気に返信したり・・・家にいながらもいい一日だった。

Mi Kyungはせっかくのお休みということで、アルブフェラまで自転車でいってきたようだ。アルブフェラは同名の湖があり、自転車で1時間半〜2時間くらいの場所。Valenciaの米所で田んぼがたくさんあり、またPaellaがおいしいことで有名な場所でもある。近くに「El Saler」という綺麗な海岸があり、その一部のプライベートビーチには「ヌーディスタ」(全裸)がいっぱいということだ。

Mi Kyungは4時頃そのアルブフェラに向かっていったが、9時くらいにはすでに帰ってきていた。

「え?もう帰ってきたの?」
「うん」
「片道どれくらい?」
「う〜ん、往復で3時間強くらい」
「そんなに遠くないんだね」
「でも、交通量が多くて危ないし、大変だった」
「アルブフェラにはどれくらいいたの?」
「・・・・20分くらい」
「えええええ??20分だけ?Paellaとかcafeとかしてまったりしてこなかったの?」
「う、うん・・・だって何もなかったんだもん」
「嘘!あるよ。Paella食べるところもあるし、cafeもあるでしょ」
「うん。もう少し先にいけばあったんだけど、遠すぎて気力が・・・」
「なるほどね。で、すぐに帰ってきたんだ?」
「・・・うん」
「何かみたの?」
「あ〜〜湖だ〜〜!って感じで終わり」
「・・・・お疲れ様(^_^;)」
「ははは」


Santiは「お腹ペコペコ」「喉がカラカラ」を使いこなすことができる。それを言うときのSantiはとてもかわいい。

今日は仕事が終わったSantiとお気に入りのcafeで待ち合わせする。おいらは相談したいことがあるというえりちゃんと一緒にそのcafeにいた。

Mercadonaに一緒に買いだしに行く予定だったので、勘定を済ませて待っていると

「正樹!もう行くのか!!一杯飲ませてくれ!正樹も飲むだろ?」

話しすぎて喉がカラカラだったので
「うん、もちろん」とおいら
「喉がカラカラ」と日本語でSanti

再び席について3人で少しだけ話す。すると、Cervezaを飲んでいるSantiが

「喉がカラカラ」と再び。

「え???なに?今飲んでるのに?」
「それは知らないから言えない。過去の場合はなんて言うんだ!教えろ」
「う〜ん・・・喉がカラカラだった」
「喉がカラカラだった」と日本語でSanti
「いや、嘘・・・なんか変だ」
「喉が渇いていた」と教え直す。
「喉が渇いていた」と日本語でSanti
「うん、それならいい」
「じゃ、Mucho(すごい)ときはどういうんだ?」
「喉がすごい渇いていた・・・いや、喉が超かわいていた」
「喉が超かわいていた」と日本語でSanti

文章で書くとなんてことなくなってしまうが、Santiの発音が面白くてかなり笑えたりする。コレでSantiは「喉が渇いた」を現在形と過去形でいえることになり、調子に載る。

「もう、日本に行っても日本語の勉強しないでやっていけるぞ。完璧だ!そして毎日Fiestaだ!お腹ペコペコと喉がカラカラで十分だ。」
「Fiestaって・・・日本はFiestaないよ。」
「部屋を借りて、酒買ってFiestaをすればいい」
「・・・ごめん、Santi・・・日本の部屋は3人から5人くらいしか入れないからFiestaにならないよ」
「じゃ、でかい部屋を借りればいい。いや、でかい倉庫を借りる」
「Villarealで行ったPen~a(ペニャ)みたいなの?」
「そうだ・・・」
「う〜ん・・・あ〜でもうちの工場使って良いよ。でかいから」
「よし、そこでやるぞ!入場料は20eurosだ」
(何故円じゃなくてeuros・・・)
「でも、スピーカーは買わないとだめだよ。うちの工場にはないから」
「えり・・・えりは水着でお立ち台の上にのって踊れ」となまめかしい踊りを披露するSanti
「たかしはタンガ(T-バック)で踊る」
(※たかしはもう1人のたかし。Valenciaには2人いる)
「Manoloはガードマンだ。」
「でも、Manoloはガードマンにしては小さすぎるよ」
「大丈夫だ、サングラスとボールペンで入れ墨を書けば」
(そういう問題なのか?)
「う、うん・・・そうだね・・・」
「よし、日本でFiestaをやるぞ!!正樹、たくさん友達を呼べ!金が稼げる!」
「う、うん・・・できたらね・・・・」

もう突っ走りまくりのSanti君。日本の現状をわかっていないとは恐ろしい。遊びに来たときにがっかりしないといいけど・・・・。

えりちゃんと3時間ほど話したあと別れ、SantiとMercadonaへ。大量の食料品やら雑貨を購入し家に戻る。

途中、ManoloからSantiにメールが入った。

「映画にいきたいから、チケット買っておいてくれ!」

とのことだった。おいらも誘われたがトイレが怖いので断る。

これに悲しんだのがMi Kyung。

今日は久しぶりのお休みで、みなでまったりSandia(スイカ)を食べることを楽しみにしていたらしい。そのため、自転車でバランスをくずしながら苦労して、丸々一つスイカを買ってきていた。

映画に行くため2人いなく、おいらはお腹の関係でスイカは食べれない。

ものすごく悲しそうな顔をしながら

「せっかくスイカ買ってきたのに・・(;´Д⊂」

とManoloに泣きついていた。

気の毒に思ったManoloは

「映画から帰ってきたら食べるよ。1時には帰ってくるから・・」

とMi Kyungにいうと

「でも、明日も仕事だから早く寝ないと・・・(;´Д⊂」


不憫だ・・・Mi Kyung。


追記
旅行記は完全にお腹が治ってないため、少し延期することに決定した。

写真は冷蔵庫の中のスイカ・・・(意味なし)

バーバー弟からPeluqueria Manoloへ・・・
2004年07月18日 (日)
grp0719225209.jpg 240×320 11K
突然、Peluqueria Manoloが開店した。

昨日はヒロシ君がかなり長かった髪をばっさり行き坊主頭になった。もともと子供みたいな容姿をしているので、Manoloに「nin~o salvaje!」といわれるようになる。「nin~o」は子供の意、「salvaje」は野生の、原始的な、未開拓の意。意訳できない・・・。

ちなみに、おいらは「Chino salvaje」と呼ばれている。Chinoは中国人の意。

そして、今日の昼、シュウジ君が頭を坊主頭にした。なんか「珍念」ぽくなった気がするが似合っていた。

2人はManoloのもっていた電気バリカンで刈ってもらった。

で・・・

「正樹はどうする・・・切るか?」とManolo
「う〜ん・・・」と少々抵抗気味なおいら
「夏にその髪はウザイぞ!切れ!」
「でも、バリカンで坊主は嫌だ。頭の形が悪いから似合わない」
「だから、はさみとおまえの持ってる梳く用の機械で切ってやるよ」
「おいらの髪は難しいよ〜。女の子みたいな髪質だから」
「Vamos a ver!」(まや、やってみよう)

こっちに来て大分経つが、実はまだPeluqueria(床屋)には一度も言っていない。話を聞けば聞くほどいい話を聞かないからだ。知らなかったのだが、スペイン人と日本人とは髪質はもとより、髪の生え方まで違うらしい。まぁ、骨格等も違うから、スペイン人に似合うからといって、日本人に似合うとは限らないのも当たり前の話だ。

一時帰国を終えて、こちらに来る前に母親に懇願されて5年ぶりくらいに美容院なるものにいって髪をちゃんと切ってもらったが(ついでにパーマもかけてやった)、それまでの数年間は「バーバー弟」で切ってもらっていた。

場所は風呂場で、切るのは弟。長年切ってもらうにつれて「バーバー弟」という名前がついた。弟はおいらと違って器用なので、初めて行く美容院なんかよりもおいらの髪質を分かってるし、速いし(正確には「適当」なので、雑な部分も多々ある)、タダだし、夜遅く(夜中の3時とか)でも開店しているということがあって、とにかく重宝していた。

が、スペインまできて「バーバー弟」を開いてもらうわけにもいかず、こっちにまた戻ってきてから半年近くになるが、一度も髪は切っておらず、もう伸び放題という感じになっていた。

確かに夏にこの長髪はウザイし、Manoloがせっかく切ってくれるということで、試しに頼むことにした。

Peluqueria Manoloへ店替えだ。

Manoloの仕事は弟よりも丁寧だった。性格の違いだろう。本当の床屋みたいに何度も左右のバランスを見ては切り、数本飛び出した長い髪などもちゃんとはさみで切ったりしてくれた(弟はこの辺は適当)。

髪を切っている最中、Manoloのお母さんと妹のLauraがソファーでその様子を観察していた。Manoloのお母さんは、流石スペインのお母さんというべきか、髪を切る息子を何度も大絶賛。日本の文化だと謙遜なども入り「ホント何もできないだめな息子ですが・・・」的なことを良くいうが、こっちで自分の息子をけなすなんてこをは絶対にありえない。もう見事にまで盲目的であり、海よりも広い母の愛という感じだ。

そんなManoloへの大絶賛を背に浴びながら、おいらの髪はSalonの床に徐々に積み重なっていった。

約1時間後・・・散髪は終了した。

意外なことに普通であった。日本の美容院やバーバー弟で短く切ってもらったときと同じ感じだ。日本人を見慣れているManoloだからできた技なのか、それとも普通に短く切るとこうなるのだろうか?謎だ。

似合う似合わないはともかく、さっぱりしたり、シャンプーも楽になり、なにはともあれ、夏仕様になり気持ちが良くなった。

その後、Manoloのお母さんとLaura、Manoloの4人でいつもの日本庭園のあるHorchateriaにHorchataを飲みに行く。

Manoloのお母さんはLauraは一緒にいるといつもなんらかの喧嘩をしている。正確には喧嘩ではなく、心配するお母さんにLauraが口答えするという形だ。彼女たちの間ではCastellano(カスティリャ語:スペイン語の共通語みたいなもの)ではなく、Valenciano(バレンシア語:方言とは違う)で話されるため、すべてはわからないが、何となく言っていることは分かったりする。

たとえば、以前、一緒にご飯を食べたときのこと
「Laura・・・ちゃんと野菜も食べなさい。体にいいのよ」
「もうお腹一杯なんだってば!」
「でも・・・食べないとだめよ」
「嫌だっていってるでしょ!」

その後も隙を見てはLauraに野菜を薦めるお母さん
「食べなさいってば」
「嫌だってば!」

こんなやり取りが続く。

今日のは速すぎてよくわからなかったが、なにやらPISOの関係で喧嘩していたようだ。心配するお母さんに対して、なにやら反抗するLauraといういつもの構図。その雰囲気はお母さんの声のトーンからもよくわかる。決して怒鳴ることはない。常に冷静で優しいトーンだ。だが、Manoloの苦笑をみると少々「心配しすぎ」なところが強いようだ。Lauraは女の子が欲しくて欲しくてたまらなかったお母さんにとってようやくできた子供で(他は男)、しかも誕生日までが同じなもんだから、敬虔なカトリック信者である彼女はなんらかの運命を感じるもの無理はない。小さいころからそれはそれは溺愛して育ててきたようである。Manolo曰く、「それだからわがままになった」とのことだ。Lauraの顔は人形みたいで恐ろしく可愛い。それも、その溺愛を増長した原因のかもしれない。おいらもあまりのかわいさにぼ〜っとなることがあるが、性格的に若いのでたまに苦笑することもある。

Lauraとお母さん、そしてトシエさんが帰ったあとManoloが一言。

「あ〜〜〜!!やっと1人だ!!!!金曜日からず〜っと人が入れ替わり立ち替わり・・・楽しかったけど、疲れたよ。いろいろやることもあったし、リラックスしようと思ってたから、驚いたよ・・・ホント」

「ははは・・・お疲れ様。おいらも今からマリちゃんのところにお金を返しにいくから、本当の1人になれるよ」

「え??正樹も行くのか?おれはこの家に1人なのか???なんでいくんだ!」

「え?だって、返さないと彼女生活できないし・・・それに、いまやっと1人になれたって喜んでたばかりじゃない」

「でも、1人は慣れていない・・・寂しいよ・・・・まぁ、SantiとMi Kyungを待つよ(つд`)゜・。」

「・・・・すぐ戻ってくるよ。たぶん」

男だったり、女の子みたいだったり・・・・。ホントManoloの性質って読めない。


髪を切ったおいらをみてマリちゃんは「うわ〜!中学生だ〜!」としきりに言う。さらに「前よりもChino(中国人)っぽくなった」とも。

数多くの日本人が中国人に間違えられるなか(当然、間違えられたことはあるが)、おいらはそうはないので、それが自慢(※中国人に間違えられること自体はなんの抵抗もない)だったのに、今後は間違えられるようになりそうだ。突然、中国語で話しかけられたらどうしよう・・・。「謝謝!」(シェイシェイ)ととりあえず元気朗らかに答えることにしよう。

その後もマリちゃんの攻撃は続いた。いつもの恨みを返すかの如く・・・
「うわ〜中学生だ〜15歳も若返るか普通?」
「うわ〜中学生がタバコ吸ってる〜!」
「うわ〜中学生がCerveza飲んでる〜!」
「うわ〜中学生だ〜中学生だ〜!」

しげしげ見つめてはニヤニヤニヤニヤ。どうも、彼女のもつわずかな母性本能をくすぐっているらしい(笑)。前とは目が違う。年長者の威厳が・・・_| ̄|○

さらに、ラテン顔になり損ねたのでついでに剃ってしまった髭のせいもあるらしい。若い子が老けてみられるのが嫌なように、おいらも若くみられるのが結構嫌い。どちらかというと老けてみられたい。だから髭も生やしていたのだが・・・。再び伸ばし始めて実年齢に近づける努力をしよう。


それにしても、かなりばっさりきったというのに、どうも周りの反応がイマイチ。実はかなり変なのだろうか?ちょっと心配になってきた。

汁カレー
2004年07月17日 (土)
grp0719204844.jpg 320×240 18K
昨夜、出発しようとしたときにSantiが帰ってきた。

ものすごい疲れた顔をして、部屋に入ってくるなり椅子に腰掛けた。

「正樹・・・ものすごい疲れたよ・・・もう駄目だ・・・」
「そんなに仕事したの?そういや、今たくさんのロシア人の子がいるんだっけ?」
「そうなんだよ・・・ヤツらは馬鹿だ!」
「ははは、puta(直訳で娼婦)っぽいのが多いからね」
「今回のは若くて集団だから、まさにそれだ。疲れる」
「お疲れ様・・・」
「あ〜〜!もう外国人は嫌だ!!!スペイン人だけがいい!」と叫ぶSanti
「・・・・おれも外国人・・・」とぼそっというおいら
「あ〜正樹はスペイン人だ!安心してくれ!」と取り繕うSanti。

相当疲れているようだ。

マリちゃんがそろそろ帰国してしまう貴子ちゃんにカレーをごちそうするというので一緒にご相伴に預かる。

シェフはマリちゃんなのだが、なんとなくみていて心許ない。

「水800mlってことは、このマヨネーズの瓶ほぼ二杯でいいの?」
「うん、いいんじゃない?」

しばらくして・・
「なんか水っぽい〜!!汁カレーだ〜!こんなんカレーじゃない!」
「いや、でもカレーの匂いするよ。そもそも市販のカレールーなんて分量それ通りつくったらそんなもんじゃないの?うちはいつも大量にカレールーいれるよ。固めたいなら少し片栗粉でもいれたら?もったりするよ・・・」
「あ〜、私が想像していたカレーじゃない〜!ごめんなさ〜i!まずいかも〜!」

貴子ちゃんが来てからも人のいい彼女は「ごめんなさい、ごめんなさい!」としきりに誤っていた。それを貴子ちゃんとおいらが慰める。

確かに汁っぽかったが、味はちゃんとカレーだった。久しぶりのカレーだったので、腹の調子が悪いのも忘れて小盛りで2杯も食べてしまった。

カレーパーティーから帰ると家には誰もいなかったが、1時間後には大量の人で我がPISOは埋まった。去年の今頃Valenciaに住んでいて、Madridに移り住んだトシエさんが昨夜からうちに泊まりにきていて、さらにcostaの生徒であるヒロシ君とダイキ君までももがやってきて、ほとんど日本人Reunion状態。

すでに調子の悪かったおいらは家でまったりしようと思っていたのだが、そん雰囲気でもなくなってしまい、一緒にArroz Negro作りを手伝う。今回のArroz NegroはArmejas(あさり)ではなく、Emperador(カジキ)を使うという新しい試みに挑戦。SantiとManoloがどこかの店で食べて激ウマだったらしい。おいらもこれまで何度もArroz Negroは食べているがEmperadorのは初めてなので、ほんの少しだけもらう。Armejasとは違ったうまみがあった。

夜中の1時頃にどこかのFiestaを終えたマリちゃんも合流し、ますますReunionに。

最近、Manoloが変な言葉を覚えて帰ってくると思ったら、すべて若いダイキ君とヒロシ君たちのせいであることが判明した。どちらかというと「シモ」系の言葉ばかりで、おいらもたまに分からないことがあったりする。みなManoloやSantiに言葉を教えるのはいいが、その後、それらの言葉を教えたのは全て「おいら」のせいになるということを忘れないで欲しいものだ。ManoloとSantiが新しく学校に来た日本人(特に女の子)に言って、何も知らないおいらに白い目を向けられるあのつらさを分かって欲しい。ついでに「変な言葉ばかり教えちゃ駄目だよ!」とか言われる身にもなって欲しい。

おいらは無実だ。

トシエさんが寝て、Santiが寝て、マリちゃんが寝て・・・Manoloまで寝てしまった。

うちで寝ていってもらって全然かまわないのだが、ベッドは全部占領されてしまっていて、ダイキ君とヒロシ君の分はすでにない。なんともかわいそうなので、残された一番調子の悪いおいらが、最後まで2人の相手をすることに。

だいたい朝の6時くらい。

目の前にVinoを持ち出されては、意志の弱いおいらは画面出来なくて、またここでも一杯やってしまった。

おいらが遠慮がちにVinoに手を伸ばすのを見たManoloは

「もう腹はいいのか?」とニヤッとしながら一言。

「Manolo・・・知ってるだろ?据え膳食わぬわ、武士の恥なり!」

「alcoholico!!」(アル中!)


追記
ManoloとSantiと3人で、この引っ越してきたばかりのこのPISOの話で盛り上がった。ゴミだめのようだったこのPISOを掃除し、壁を全て塗り、家具をMadridのIKEA(巨大家具屋)に日帰り(ほぼ徹夜)で買いに行ったり・・・そんな思い出話をした。なんかものすごい懐かしい気分になった。

療養
2004年07月16日 (金)
マリちゃんに「自業自得やねん」といわれたがまさにその通りだ。

3日前くらいから腹の調子がすこぶる悪いが今だに治らない。Benaventeのあの夜・・・いささか調子に乗りすぎたようだ。「Tipico侍の誉れだ!!」と最初は思ったが、ここまで長引くとマリちゃんの言葉が頭の中で何度も繰り返される。人間は反省して生きていく生き物らしいが、きっとおいらはこの先も同じようなことが何度もあるに違いない・・・そう思うと自分の馬鹿さ加減に呆れつつも、誇りにさえ思う。

あ〜腹痛いよ〜。

寝起きからトイレに駆け込み苦しむ。基本的には薬は嫌いで自然治癒でしかなおしたくない人間だが、四の五の言ってられる状況じゃないので、以前遊びにきた長尾から奪った「ワカ末 止寫薬」を引き出しの中から探し出してきて飲む。長尾曰く「効き過ぎるから気をつけてくれ!正露丸なんて目じゃない」といわれたので、少々期待。

とにかく、しばらくはVinoなどアルコール類は極力抑えて、おかゆとリンゴジュースの日々を送ろうと思う。

旅でできたリズムのおかげで寝たのは遅かったわりには、9時半の目覚ましで目が覚める。天気もいいので、旅行でたまった洗濯物を洗う。その後、買い出しにでかけ、水やリンゴジュースなどを購入。Vinoはグッと我慢の子(というか、すでに8本以上のVinoのストックがあったりするのだが)。

外でcafeでもしたいくらい良い天気なのだが、いつ爆弾が爆発するかわからんので家でおとなしくすることにする。洗い物をしたり、トランクの整理をしたり、デジカメ写真を整理したり・・・などなど。

1時半頃、Manoloが帰ってくる。13日ぶりの再会。熱い抱擁をかわす。

Manoloが近況を教えてくれたのだが、すべておいらが旅行に出発する前の出来事で苦笑。

「Manolo・・・その時全部俺いたよ・・・(笑)」
「あ〜そうか・・・そうだな・・・なんかすごい長い間いなかった感じがして」

Manoloにお土産を渡したり、他の近況などをいろいろと訪ねる。2週間いなかっただけで、いろいろあったようだ。特に日本人のネタで。やはり海外に住むということは大変なことだとしみじみ感じた。

2時半頃帰ってきたSantiは相変わらず元気溌剌ではあったが、多少暑さと仕事のため疲れているようだ。

春はおいらがいないと一日中家で1人になってしまい、かなり寂しがっていたとのことだが、そのくせ、かわいがろうとすると逃げる春。相変わらずの天の邪鬼っぷりだ。

SantiもManoloも再び仕事にでかけ、4時半頃、Mi Kyungが帰ってきたので、いろいろと話す。仕事を始めてからというものかなりストレスがたまっているようだ。

Valenciaにいる中国人で観光客ではなく、レストランや雑貨屋を営んでいる中国人というのは、スペイン人からみるとかなり風変わりな人間に見えるらしいのだが、同じアジア人のうちらからみても、同様に風変わりに見える。(※もちろん全員ではない)

彼らはアジア人のうちらにはとても親切なのだが、いかんせん閉鎖的で、スペインに何年も住んでいるにもかかわらず、スペイン語をあまり話そうとしない。というか、必要としていない。

スペインにおいても彼らは彼らの社会を形成していて、そこからでることはまずほとんどない。最低限のスペイン語は商売するために必要なため話すのだが、普段は中国語で話す通す。語学を勉強しにスペインにきているわけではないので、全く問題はないのだが、その社会の中で働いているMi Kyungにとってはかなり厳しいようだ。

また、習慣なども必要最低限以上は変えないらしく、Valenciaに住んで1年以上経つMi Kyungにとってはその差はかなり大きいようだ。Mi Kyungは決していじめられているわけではなく、みな良い人間(一部を除いて)なのだが・・・やはり分からない言葉で話されてしまうと、ものすごい疎外感を感じるとのことだ。

最近、Mi Kyungはそのレストランの店主から「一緒に住まないか?」と誘われていてビビっているらしい。家賃はタダなのだが、8人の中国人と一種のタコ部屋(スペインなので、PISOは十分広いが)状態らしい。Salonに3人、各部屋に2人ずつ寝泊まりしているという状態らしい。

半分身内の中国人の働き手と比べて、Mi Kyungは仕事はしっかりこなすタイプで、店主にはかなり重宝されており、また気に入られているようだ。そのため、今回の提案がされたらしいのだが・・・毎日のように、隙を見てはその話が持ち出されるため、少々怖くなってきているとのこと。断り続けるのも体力がいるだろうし・・・。

そういえば、まだSantiとManoloには秘密らしいが、Mi Kyungがタバコを吸い始めた。一日数本とかFiestaの時程度みたいだが・・・ビックリだ。

スペインにやってきた日本人でタバコに手を染める女の子はこれまでごまんと見ているが、まさかMi Kyungまでとは・・・。タバコを吸いたがるMi Kyungにたいしてうちらはいつも「やめろ!やめろ!」と言っていたのだが、ぷかぷか煙をくゆらせているうちら三人がいっても、やはり説得力はなかったようだ。かわいそうに・・・。知らなくていいことなのに・・・。

タバコで思い出したが、スペインはある意味喫煙家にとってヨーロッパで最後の楽園みたいなものだと思う(他の国は知らないからイメージでしかないが)。

タバコの値段も他のヨーロッパの国々に比べれば破格の値段だし(日本と同じ値段。つまり日本は激安ということだ。)、レストランやBarなどで「禁煙席」なんてものはみたこともないし、ポイ捨てしまくりだし・・・と猫も杓子もタバコタバコという感じだ。

ポイ捨てに関しては何度かビックリしたことがある。Barやレストランの床にタバコをポイ捨てすることにも驚いたが(それが暗黙の了解だったりする。Barによっては散らかっている床が流行っている証にもなる)、知り合いの家のFiestaに呼ばれた時にも「灰皿は?」と家主に聞いたら、床を指さして「ここに捨ててくれ」といわれたことさえある。全部のFiestaがそうではないが、大抵みなそれほど気にすることなくタバコの吸い殻は床に捨てる。

また、路上でポイ捨てするときも彼らは足で火を消すことはしない。そのまんま、見事なポイ捨てだ。もう脱帽するしかない。フランスなんてそれで山火事が良く起こるらしいが、かなり納得。おいらは、いつも彼らが捨てた火のついた吸い殻を踏みつぶして歩いている感じだ。

そういうおいらも、日本では一度もポイ捨てはしたことはないが、スペインでは当然のようにポイ捨てしている。どうせ「灰皿は?」と訪ねても、地面を指さして「ここ・・・」と言われるだけだから。灰皿があれば、ちゃんと灰皿を使う。


お腹の調子によるのだが、月曜日あたりから、今回の旅行の記録を「連載」という形で毎日or一日おきくらいにアップしようと心に決めつつある(変な表現だ)。

仕事の時とは別で、個人サイトの更新など基本的に気が向いた時というのが現実だ。日記はこれまで10年くらい書き続けているので、半分仕事みたいに書き続けることができるが、他のコンテンツは一種の「仕事」にしないとどうしても続かない。人によっては続けられるかもしれないが、おいらは根がいい加減なので、途中で挫折することが多い。そのために「連載」の文字をつけて、意識的に仕事にすることにした。

一日に一日分アップが基本だが、一日に複数の都市を回った場合は都市ごとに一日かけることにした。一気に書こうとすると死ぬので、poco a pocoだ。

ただ一つクリアできていない問題がある。Valenciaの情報じゃないというところ。旅行記なわけだから、当然そうなるのだが、コラムやValencia復興委員会の方を先に何とかするべきなのではないか・・・とも思ってしまい、諸手をあげて受け入れることができていない。

まぁ、やらなきゃどうしもないから、やるんだけどさ・・・。

これからHarukaさんたちと夕食を一緒にするので、シャワーを浴びて髭をさったのだが・・・。前回のラテン風味に味をしめて、リアル髭を整えてあの雰囲気を作り出そうとしているのだが・・・。

日に日に、

ネプチューンマン

または

キリスト崩れ

ラテンの道は遠く、そして険しいようだ。

Toroさんの本能
2004年07月15日 (木)
う〜久しぶりの日記。なんか面倒くさいような嬉しいような・・・。

もう3時半なのでさくっと書くことにする。

Segoviaから車を飛ばしてValenciaの自宅についたのはだいたい4時頃。たまっているメールをそのままにしておくのは怖かったので眠かったがメールを受信する。絵はがきを書いたおかげか、友達からのメールがたくさん届いていた。眠いので斜め読みしてパソコンを消す。

起きたのは10時半頃。寝ぼけ頭のまんまレンタカーを駅に返しに行く。ついでに今日からタカシ君の家に2週間ほど滞在するマリちゃんの荷物をトランクに詰め込み、Mercado Central側のタカシ邸にまず行くことにする。

Valenciaはそこそこ大きい街で、車の流れを良くするためかわからないが一方通行が多い。かなり歩き慣れた街なのだが、車で通るといつもと違った感じで、車ということもあり恐怖さえ感じる。おいらは運転に集中したいので、マリちゃんにナビはすべて任せた。

一方通行表示に多少悩まされながらもタカシ邸まではそれほど苦労なくたどりつき荷物を下ろす。問題はここからだった。

指定された駅の駐車場にいきたいのだが、どこをどういっていいのかさっぱりわからない。一方通行の標識が常に邪魔をする。もっている地図には一方通行の表示は書いてないのでとりあえず走るしかなかった。さらに、ガソリンを満タンにして返さなければいけないというのに、ガソリンスタンドも見つからない。泣きながら車の多い市街をぐるぐる回る羽目になる。もうほとんど迷路

30分くらい市街を回り続けただろうか・・・このまま走り続けても二進も三進もいかないので、とりあえず簡単に止めれる駅目の前の駐車場に一時駐車し、レンタカー会社の人にガソリンスタンドの場所と駐車場への行き方を尋ねる。

再び地図を片手に走り始める。ガソリンスタンドでガスを入れ、そこからぐるっと駅裏まで回って駐車場へ導いてくれる看板を探すが、その看板を探すまでの間にも何度か同じ場所をぐるぐる回る羽目に。ロータリーってすごい便利な気もするが、ちょっとだけ怖い。

ようやく看板を見つけ、指定された駐車場が見えてきた。

「やった〜!ついに到着!」と両手をあげて喜ぶマリちゃん。

「待ちなさい!家に着くまでが遠足です!しかも、ここはスペインです。何があるかわかりません!気を抜くな!」と先生か親みたいな口調になってるおいら。

駐車場が5m先に見えてきた。少々安心するおいら・・・だが・・・

「ここは一杯だ!まっすぐいって右にある駐車場に行け!」と係員

右にいってある駐車場は先ほどおいらが一時駐車した駐車場で空いてるスペースはない。なのに、そこに誘導するなんて・・・。日本じゃあり得ない。

やっぱりここはスペインだ・・・気を抜いてはいけない・・・とブツブツ言いながら先ほどの駐車場に向かう。当然、駐車できるスペースなんてあるはずもなく、ひたすら同じ場所をぐるぐるぐるぐる。おれはハムスターかっつ〜の!

マリちゃんをおろし、レンタカー会社に聞きにいかせる。ガソリンも満タンにしたし、指定した駐車場にもちゃんといった。ここまでやって文句はいわれまい。

案の定、マリちゃんはレンタカー会社の人と一緒にやってきて、その人と運転を交代。

無事解放!

けど、駅に車を返しにいくだけなのに2時間もかかったうちらっていったい何?


腹の調子は悪いままだったが、何も食べないのもやばいし、げっそりしてきている感じがしなくもなかったので、いつもの立ち食いPaella屋でPaella valencianaを食べる。何度食ってもうまい!普段は2.5eurosなのだが、観光シーズンの為か3eurosに値上がっていた。50centimoの値上げ・・・なんかちょっとかわいらしかった。
(円に直すと少々がっかりするくらいの値上げだが・・・)


食後、家に帰って寝ようとも思ったが、暑さと腹の調子の悪さ、けだるい感じともう満身創痍だったため、タカシ邸(現マリ邸)で少々寝かせてもらうことに。

あっという間に眠りについた。

起きるとマリちゃんは読書をしていた。聞いたところいろいろやってて寝てないらしい。おいらが貸した「氷点」の下巻もほとんど終わりに近づくくらい読んでいた。人の家だから緊張しているのだろうか?おいらは数回しか来ていないタカシ邸でも爆睡できるというのに・・・神経の違いだろうか?


心地より眠りはSantiの電話によって強制的に終了させられた。

「Hola!正樹!元気か!ひさしぶりだな」と元気溌剌Santi。
「う、うん・・・」と寝ぼけ頭のおいら。
「旅はどうだったよ!」
「・・・うん、良かったよ・・・」
「今日、Corrida de Toro(闘牛)があるけど行くか?」
「・・・う〜ん・・・いくら?」
「タダだ、タダ!」
「そっか〜」・・・かなりおなかがやばいので悩むおいら。

「Harukaもいるぞ。知ってるだろ?」
「誰それ・・・しらない・・・」
「何行ってるんだ!!おまえのホームページをみて来た子だ!」
「あ〜〜!!あ〜〜〜!知ってるよ!」
「彼女も行くぞ」
「わかった・・・行くよ」

言い訳になるかわからないが、実は寝ぼけ頭だったということと、相変わらず苦手な電話での会話だったこともあり「Comida de Toro」と聞こえていた。意味としては「Toro(牛)の料理」という意味になる。

時期的にFeria(お祭り)ということもあり、闘牛場でEmbutida(肉とVino祭り?)みたいなのが開催されると、闘牛場に着くまで思っていた。しかし、ポスターをみてもそんなことはどこにも書いてない。闘牛士の名前が3人書いてるだけ。何のComidaがでるんだろ・・・とちょっと楽しみにしていたおいらは少々ビックリ。

ということで、はからずもあまり好きじゃない闘牛を見る羽目になる。

闘牛をスペインのイメージする人は多いが、日本の相撲みたいなもんで、興味な人はごまんといる。嫌いという人もおいらのまわりにはたくさんいるし、おいらもどうも好きにはなれない。

食わず嫌いは良くないので多少闘牛のことについて調べたこともあるが、そもそも「牛を殺す」という部分がおいらの頭の中で根強く抵抗していて駄目だ。最終的には食べるということだが・・・なんというか・・・。日本で言うならば「活け作り」の存在理由に疑問を感じるのと同じだ。おいらにとってはアレも必要ない。

確かに上手なMatador(闘牛士)がやるとかっこよくは見えるのだが、なんというか・・・う〜ん。駄目なもんは駄目みたいだ。

3匹のToroさんが殺されたあと、「ようやく終わった!」と帰ろうとしたところ、再び別のToroさんが。どうも1人二回ずつあるらしく、今日一日で6匹のToroさんが殺されることになっているらしい。

闘牛をみながら、Toroさんが抵抗できずにヒラヒラと舞う赤い布に突進していく姿をみてなんとも切ない気分になる。中には頭がいいToroさんがいて「ふん、おまえ等となんて遊んでられるかい・・・見せ物になるくらいだったらここでばっさりと殺せ!ここで寝ていてやるから!」くらいの牛が登場することを祈ったが、最初の4匹までは本能の赴くまま突進し、そして剣を刺されていた。

しかし、5匹目のToroさんはおいらが望んでいたToroさんだった。イマイチ乗り気じゃないらしく、最初は突進していたものの、中盤あたりから走るのをやめ、どこかうわの空。Matadorが目の前で赤い布をヒラヒラさせても微動だにしない。

観客の1人が「Matalo!!」(殺せ〜!)といっているのが聞こえたが、おいらは心の中で「そうだ!そうだ!」とToroさんを応援。なんか、そのToroさんに侘び寂びを感じた。

最終的には彼も殺されてしまう。しかも、かなりえぐい殺され方だった。Matadorの実力も関係してか、なかなか一息に剣が刺さらず何度も何度も刺されて苦しむ羽目に。もう見ていて本当に辛かった。うまい闘牛士というのは、Toroさんが苦しまないように殺す。その前にもう十分苦しんでいる気がしないでもないが、ホント一息だ。

Toroさんたちは剣をさされてもしばらくは死なない。死の瞬間だからか、思い切り暴れる。そして数分後に前足から崩れ落ちるように倒れる。もう全身血だらけ。そこに最後のトドメと脳天に剣を突き刺す。その時になってようやくToroさんは天に召される。一瞬だ。

その後、馬に引かれて(西部劇でよくある馬に引かれる人間のように)闘牛場を退場する。引きずられたあとに残る砂にできた溝が何とも切ない気分を増幅させる。

4匹目のToroさんの時のMatadorは「耳」をゲットした。

よい闘牛をしたMatadorは、その闘牛の「耳」を獲得することができる。その耳が多いMatadorほど「良い闘牛士」といえるわけだ。

闘牛が終わった後、観客は一斉に白い布やらティッシュをはためかせる。すると、観客席上部にいるお偉いさん方(スポンサー?主催者?)が、「耳」に値する闘牛だったかを考えて小さい「白い布」を彼らの席から垂らす。その白い布を確認すると、闘牛士は彼らの席に向かって一礼をし、耳を切りとって得意げに持ち帰る。

今回は耳一つだったが、さらにいいと耳二つを持ち帰ることもできるらしい。

4回目の闘牛は他のと比べて確かにスマートだったし、華麗だったのだが・・・やっぱりToroさんが殺されてしまうことには納得ができない。

この一種の残虐面(?)って人間の原罪なんだろうか?う〜ん。おそらくおいらには一生理解できないと思われる・・・。

闘牛後、costaの日本人メンバーと一緒にHarukaさんとそのお連れさんと合流。総勢7人の日本人。しかも、6人も男!!う〜ん素晴らしい!初めてあった年齢の近いシュウジ君はバリバリの体育会系で、Cervezaを頼みに席をたったおいらのあとを慌ただしく追いかけてきて「そんな目上の人に注文をとらすなんて・・・そんなこと・・・」と一言。

久しくそんな世界に身を置いていないのもあり、なんか微笑ましくもあり、こっぱずかしくもあり、そして、笑えた。

そんなおいらはというと、初めてあった年上のHarukaさんの連れにため口(相手は丁寧語なので、たまに意識してしまって丁寧語)。

この差って・・・なんなんだろう?

休載
2004年07月03日 (土)
15日まで旅行のため休載。
詳しくは後日執筆予定の旅行記に書く



一覧 / 検索