う~ん。なんもない。どうしよう。ってことで、ちょっとした僕の怒りを書く。
先日、渋谷で五年ぶりの知人(友人とまではいかない)にあった。その人は今年からKDDにつとめ始めたらしい。僕が何をやっているか聞かれたので、「院生」であるとを伝えた。そうすると、まるで勝ち誇ったかのように「なんだ学生か、暇じゃん。いいなぁ。俺は忙しいよ」と言われた。その瞬間ちょっと「カチン」ときたけど、説明するのも面倒なので「そうですね。暇です」と答えておいた。
おそらく、この彼と同じように感じる人はたくさんいると思う。大学院に入る前の僕もこんなに忙しいなんてことは想像もしてなかったし。「僕が」大学3.4年生の時は確かに暇な時間が多かった。でも、それはなにもやろうとしていないからであって、大学3.4年生それ自体がが暇なわけではない。中には、たくさんある時間を有効に使って、忙しい毎日を送っている3.4年生もいることだろう。学生期間はモラトリアム期間であり、時間の使い方はその人その人で異なる。つまり、暇にしようと思えばいくらでも暇にできるし、逆に忙しくもできる。なので、彼が導き出した「学生」=「暇」というのは納得いかない。彼は暇な学生生活を送ってきたのだろうけど、今の僕は明らかに違う。前の僕なら言われてもなんて事ないけどね。就職してそこで忙しく働くことをステータスにしていて、「俺は偉いのだ」というような彼の態度が気にくわなかった。学生の忙しさは自主性が必要な分だけ、会社における強制的な忙しさよりも僕には大変そうに思える。仕事自体の難しさは別としてだけど。強制的な忙しさの方が僕には向いているから、自主性が必要な忙しさにはなれていない。今のところ、僕の忙しさは強制的な忙しさであるからいいが、来年なると、自主的に忙しくしなければならない。これを思うとちょっとつらい。
社会人の方の「忙しさ」には「お金」が付いてくる。逆に学生のほうのそれには「お金」は付いてこないが「長期的な休み」つまり自由な時間が付いてくる。僕は、4年生の時点でその二つを選ぶとき、後者をとっただけだ。旅をする時間がほしかったし、もっと考える時間もほしかったからだ。「甘え」なんだけどね。でも、性格上やりたくないことはしたくないタイプなのです。好きなことだけやって生きていきたいのです。好きと思って入った院ですが、もっと好きじゃないと駄目みたいでした・・・(^_^;)。
ところで、その知人は、僕が公務員とかの専門学校の学生であっても同じ様な台詞をいうのだろうか?僕にとっては大学院も職を手にするための「専門学校」の様なものなんだけどなぁ・・・・。あと、僕は「勉強」が好きなわけではありません。しばしば言われますが。勉強じゃなくて、「歴史」という学問が好きなんです。勉強=嫌なもの、という方程式が成り立つのもわかります。僕も数学とか、理科とかは好きじゃありませんし。映画好きの人が映画をたくさん見たりするのと一緒です。彼らに「勉強好きなの?」とは聞かないでしょ?僕にとっては、旅と映画と歴史は同じ次元に並んでいるのです。好きでも限度があることを知りましたが・・・・。
しかし、週に6コマしか授業がないのに、ここまで忙しいのは変だと思う。僕はやるきのない方だからまだいい方だが、これに自分の勉強をしようとしている人はもっと急がしいんだろう。いつ遊んでるんだろ?不思議だ。
こんな不満をここでぶちまけても仕方がないですね(^_^;)すいません
P.S 今回からタイトルを付けることにしました。それだけですが。