今日、夜中におなかが空いたので松屋に行った。その松屋は自動ドアが壊れていて、手で開けなくてはならなかった。その時に感じた事を今日は書きます。
パキスタンから帰ってきて早10日。あまりのけだるさにパキスタンを恋しく思う日々が続いている。あの汚さ、あの長閑さ、あの素朴さ・・・。でも、何にもおいて懐かしいのがあの生活における「不便さ」である。
日本での便利な生活になれてしまった日本人はパキスタンの生活の不便さにイライラすることが多いと思う。その後、その不便さになじんでいくか、慣れないままでいるかでその人のパキスタンへの適合率がはかれると思う。
日本はホント便利である。あまりにも便利過ぎて、ちょっとしたことにでさえ不便を感じでしまう。例えば、街にでてデパートに行くとしよう。まず、ドアは自動で開いてくれる。エスカレーターで各フロアに行き、エレベーターで戻る。途中トイレに行っても、手かざしで水が流れる装置や、暖かい空気による乾燥機・・・・。ホント何でもある。ホント必要なのか??と疑問に思ってしまう。これらの作業はすべて自力でできることである。それもほんの少しの労力で。障害者の方ために必要だという意見もあるかもあるかもあるかもしれないけど、こんなには必要はないだろう。専用のものだけにそれらの装置を付ければ済む。しかし、今の日本では健常者でさへもはこれらの物がなければ「不便」だと感じる人が多いのではないだろうか。階段しかなければ、階段で上ることに対して不便だ・・・と感じる人はいないだろう。しかし、エレベーターやエスカレーターがそこら中に設置されていれば、階段で上がるのが不便と感じる。
その点パキスタンはそこそこの高級ホテルでさえ「エレベーター」も「エスカレーター」もない。重い荷物を持って階段を上がり部屋までいかなければならない。シャワーを浴びるのもお湯を沸かす所から始めなければならなかったりする。トイレだって水を自分で組んでから入り、自分で流さなければならない。他にもいろいろあるが、きりがないからやめておく。
何から何まで自力でやらなければならないパキスタンな生活。しかし、その労力がたまらなく楽しい。その楽しさの構造は最初は観光客精神からくる物珍しさから始まったが、後半はそれが当たり前のようになり体になじんでくる。自力で動いている気になれるのだ。ほとんど水みたいなシャワーはあたりまえ、停電が起こってロウソクで生活するのもあたりまえ、暖房が無いのもあたりまえ、電気が暗い中で生活するのもあたりまえ、ベットがないからソファーで寝るのもあたりまえ・・・そういう世界なのだ。これらの労力も「あたりまえ」と考えてしまえば、不便でもなんでも無くなる。だから、最初にあげたように、これらの「労力」をいつまでも「あたりまえ」と思えない人は、パキスタンの生活には適合できないと思う。
そういった生活を10日間だけといえどもしてきた僕には、日本の便利さがとっても無駄に思えてならない。パキスタンという国は戦前または戦後直後の日本に似ている。生活の水準や文化の面においてもいろいろ思い当たる節がある。つまり、僕の中ではパキスタンは昔の日本というイメージが強いのだ。日本はわずか50年でここまでの経済大国にのし上がったが、そのおかげで得た物は「便利」で「快適」な生活であろう。しかし、人間、「便利」を憶えると次々と怠け者になっていく気がする。
その恩恵を受けている僕にはこんなこと言う資格はないことはわかっているが、松屋の重い扉を開けているとき、になんとな~くパキスタンに対して懐かしさを感じてしまった今日でした。